「女人禁制の酒づくり - 佐々木久子」集英社文庫 酒はるなつあきふゆ から

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「女人禁制の酒づくり - 佐々木久子集英社文庫 酒はるなつあきふゆ から

北陸から東北にかけて、雪深い国では、「雪起しの雷」をきくことができる。私もはじめて、新潟市北山にある小さな酒蔵できいた。秋の終わりから冬のはじめ、はげしいあめのなかでドオーンと一発この雷はなる。そのあと大雪の前ぶれをみるように大粒のあられがサアッとばかりに降る。
この日から日本の酒づくりははじまるといってもいい。夏から秋にかけて、森閑としていた酒蔵に一せいに蔵人が入る。
日本には現在二千六百軒弱の醸造元がある。その九十五パーセントは、“おみき酒屋”とよばれる小さな酒屋である。ひところ世上をにぎわした四季醸造の酒蔵は、灘や伏見の大手メーカーのごく一部だけであり、あとの殆どは、江戸時代の末期からその優秀性が認められた“寒造り”という方法一本にしぼってつくっている。“寒造り”とは、十二月、一月、二月すぎまでの三カ月、百箇日の間につくりあげる方法のことである。 なぜかといえば、日本の酒は、酒屋のご主人や家族の者がつくるのではなく、全く縁のない遠い他国からの出稼ぎ人、いわゆる「蔵人」とか「酒屋もん」とか呼ばれている人たちの手にまかせてつくっているからである。
この出稼ぎの男たちは、冬の間は仕事ができない山間に住む人であるとか、雪が多い地方に住む農民、あるいは漁民といった人たちだから、双方の利害がうまく一致するのだ。
加えて、原料にお米を使い、一年のうちで最も条件のいいときに当るのである。
商人には盆も正月もない、などというが、「酒屋もん」にとっては暮も正月もない。きすぐれていたい世間の人たちが、行く年から新年にかけて酔い痴れているころ、酒屋で働く男たちは不眠不休の酒づくりに精魂こめているのである。
しかも、この酒蔵には、古来から女人の立ち入りが禁じられていた。化学万能、機械万能という時代になり、杉樽がステンレスやホウロウ引きのタンクに変わった今日、時代錯誤も甚だしい、といきり立つ女闘士の方がおられるかもしれない。が、たしかに大半の酒蔵は、見学にゆけばいとも簡単に女を入れるようになったし、現実に女性の醸造技師もいる。しかし封建性の強く残っている東北の一部や、頑固に手づくりを踏襲している杜氏さん(酒づくりの最高責任者であり、おやじさんと親しまれている)のいる蔵では未だに立ち入りを許さない。このことを私は大いに結構だと思う。だいたい近ごろは、鼻息の荒いウーマンリブとやらに押しまくられて、やたらに男たちが甘くなりすぎている。女子には関わりのない世界、というのがあってもいいはずである。
日本民族の酒をつくりつづけている杜氏さんには、長い経験と熟練した高度な技術をもつ、頑固一徹な名人気質の人が多い。そうでなければ稀少価値のたかい銘酒をつくりたずことはできないはずである。
酒蔵に入ると沐浴して身をきよめ、妻子といえども顔を合わせないで、清潔、神聖なところで酒づくりに没頭する蔵人。杜氏さんは、毎日、酒の神様といわれる松尾大社の祭神を祀った神棚に礼拝し、酒蔵の入口にしめ縄をはって盛り塩をする。
「カッチンカッチン切り込みましたるは玉のようなる潔[きよ]めの切火。真正面なる松尾さま、荒神さま、これなる鎮守さま、産土[うぶすな]の神さま、八百万の神々さまもお目覚めあらせ給うてお立会いのほど願い奉る。ただいま仕込みましたるは第X号の醪[もろみ]。江戸に出ましては江戸一番、田舎に出ましては田舎一。甘く辛くシンピリの上々の酒とならしめたまえ」
午前四時になるかならないうちに飛びおきて、仕込桶に向って一心に祈りをささげる杜氏さんの声を聞くと、
“ああ、男の世界だな”
と粛然として、蔵に入りたいなどとはつゆ思わなくなる。
酒づくりは勝っても負けても一本勝負。酒づくりはやり直しがきかないのである。即ち、杜氏さんの仕事に明日という日はないのだ。
もちろん、女が入ってはいけない、などという科学的根拠もありはしない。
ただ、麹菌という黴を使って清潔に仕込むという神秘の世界なので、他から雑菌が侵入することを極度に嫌った。どこかの蔵で、女が入ったために酒が腐ったという事例が、ひとたび、まことしやかに伝えられると、以後は呪文のように女人立入禁止ということになってしまう。
ドイツのビールの例でも、酵母を培養する場合、女がやると男よりも繁殖率が劣るし、むらができる。これは女性のメンスに起因している、といわれる。つまり、メンスには酵母の発芽を妨害するミトゲネラック光線という目には見えない毒素があるからだ、というのである。
まあドイツの話はさておき、日本の蔵人は、百日以上も男だけの緊張と不休の生活をつづける。そんな気の立っているところへ、女にチラチラされたのでは仕事にも身が入らないし、精神衛生上もよくない。とくに女は化粧品や香料など異物のものを多く身につけているので、女がくると酒蔵から残り香が抜けない。敏感な黴にこれが影響しないわけはない、というのが女性を遠ざけることになった一因であろう。
酒づくりは女を入れないでもすむが、お酒を飲む段になると、これは女がいなくてはどうにも味気がない。
古来、酒と女は男にとって必要かくべからざるものであり、共に愛すべきものなのである。古人は、必要の「要」という字をこしらえるとき、酉[とり](酒という字のもと)と女をくっつけて「要“酉女”」にしたのに、いつのまにか酉は西になり、西と女をくっつけて要にしたため、本来の意味が消滅した字となり果ててしまったのである、と私は愚考するのだが.....。