(巻二十四)風光る路上の喧嘩見て過ぎぬ(原子公平)

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(巻二十四)風光る路上の喧嘩見て過ぎぬ(原子公平)

2月19日水曜日

とじ傘
魔法瓶を買いにモールに出かけた。
途中の雑貨屋の店先で店主が鉢植えの植え替えをしていた。この雑貨屋では腐葉土なども扱っている。客からついでに植え替えも頼まれたのか?
生協の横の花屋さんも、ミカンの鉢植えの植え替え「やったげるよ。」と言っていた。

本

「病院通い - 上田三四二」文春文庫 89年版ベスト・エッセイ集 から

を読みました。

《 再診を乞うのがこわく、何事も気のせいと自分をごまかして、一日一日をやり過ごしていた。今になっつ思えば、わが怯懦[きようだ]は声をあげたくなるほどのものだが、私は自分から目をそらし、逃れようとし、一方では手遅れだとする深い怖れに苛[さいな]まれていた。身と心の疲れは人の目にも映るらしく、言葉に出して心配してくれる人もいて、怖れはつのるのだった。
夜桜見物は覚悟の花見という気持があった。夜桜の下で、ぼんぼりの光に浮いて、弁当を開く。いちど、そういうことがしてみたかった。妻と二人、にぎやかな車座と車座のあいだに小さく場所をとって、しずかに酒を呑んだ。桜の山は人の山がいい。あたりは騒々しければ騒々しいほどいい。そしてこころはしんしんと寂しかった。花が散り、隣りの連中が酔にまぎれて枝を揺さぶると、満枝の花はたまらずふぶきと降りかかって、喚声が沸き、花は膝の上の折詰にも散った。 》