1/2「花月西行(其の二) - 上田三四二」新潮文庫 この世この生 から

f:id:nprtheeconomistworld:20191126063323j:plain


1/2「花月西行(其の二) - 上田三四二新潮文庫 この世この生 から

西行を兼好から区別する最大の目じるしは何か。
兼好が後世抜きであるのに対して、西行には後世が信じられている。兼好の生は「死の瞬間における死」である滝口に終る。身の終りがすなわち魂の終りである。しかし西行の魂は身の終りの後にまで生きのびて、滝口は絶望的な存在の消滅を意味しない。死の瞬間は西行にとってももちろん劇的であり、西行の場合とりわけ劇的であったといわねばならないが、しかしそれは悲劇的でも絶望的でもなかった。
西行に本当に後世は信じられていたか。信仰の深さのほどはしかと定めがたいが、西行が死後にたいして或るイメージを抱いていたことだけはたしかと思われる。兼好とちがって西行は「死のむこう側の死」を視野のうちに取込んでいるのである。
晩年の一時期を伊勢に過ごした西行の言行を伝える「西公談抄」に、「歌のことを談ずとても、其隙[そのひま]には、一生幾ばくならず、来世近きにありといふ文を口ずさみにいはれし、あはれに貴くておぼえし」とあるのは、西行がつねに後世を念頭においていたことの一つの証拠といえよう。「来世(後世)近きにあり」の語気には、後世への期待さえ感じられないことはない。
また西行の和歌 -

来む世には心のうちにあらはさむあかでやみぬる月の光を

仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば

二首とも、自分の死後を歌っている。生涯、月と花に心を労した歌人にふさわしく、あの世でも円光の月に思いをひそめ、桜の花に逢うことによろこびを見出そうとそうと言っている。ここで、死後は現世のつづきのようなものとして意識されている。すくなくとま、現世への未練として歌われている。西行は、来[きた]るべき世においても、依然として現世の景物である花月への情が彼の心を占めるであろうことを予告しているのである。
このようた西行の「死のむこう側の死」への視線は、「死の瞬間における死」を歌うあまりにも有名な次の歌を梃子[てこ]としていることは見やすい。

願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ

一首は「山家集」に出ている。「山家集」は西行が伊勢に移る以前に成立したと推定されるから、どんなにおそく見積ってもこれは死に先立つこと十年の作である。定義の上からは辞世であるわけはないが、しかし作者の心に分け入ってみれば、これが辞世の歌でなければ話ははじまらないだろう。西行は実際の死より十年以上も前に辞世の歌を詠み、以後、春くるごとに望月の花の下で ー 如月十五日は釈迦入滅の日にあたるが、この世における花の爛漫、月の清明仏道成就の道しるべとして、彼岸に渡ることを心に期してきたのである。ちなみにこの歌は「続古今集」では二句が「願はくは花のもとにて」となっている。これも一つのかたちで、一般にはこの方がよく通っている。
この歌の美しい玉の砕けるような衝撃力をもっている。死はここで西行の憧れの完成だが、その憧れの完成が、西行という現身の消滅を意味するゆえに衝撃は大きいのである。
まして、よく知られるように、文治六年(建久元年)二月十六日、西行が河内弘川寺[ひろかわでら]においてこの願いを実現し、七十三歳で示寂したとあっては、一首の歌、一人の歌人の死が世人に与えた衝撃のほどははかり知れないものがあった。