「シグレを待つ人 - 安岡章太郎」文春文庫 父の酒 から

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「シグレを待つ人 - 安岡章太郎」文春文庫 父の酒 から

いまは「旦那」という言葉は、ほとんど聞かれなくなった。温泉場などで、客引から呼びとめられる場合でも、旦那とはいわれないが、大抵は「社長」である。私の知っている範囲で、旦那と呼ばれるにふさわしいのは、井伏鱒二飯田龍太のお二人ぐらいではなかろうか。体型からいうと、このお二人は対照的である。井伏さんの方は極めて恰幅がよく、龍太さんの方は痩せ形で小柄である。しかし、人柄という点では、龍太さんは大地に根を張った自然木という感じがあり、そこから「旦那」的な雰囲気が出てくるように思われる。
いやじつは龍太さんとは、井伏さんを中心とした旅行会コーフコーで年に何度かお目にかかるだけの間柄だ。コーフコーは幸不幸というようにも聞こえるが、たぶん甲府講であろう。春夏秋冬、季節をとわず、想いついたときに十人内外の集団で、そんなに遠くはないところ、主として中央沿線、甲府の近辺の何処かへ一泊ぐらいで出掛ける。旅行の目的は、春ならば桜、秋ならば紅葉を鑑賞するとか、スケッチとか、句作とか、いろいろの名目がつくが、結局は酒である。だから実質的な命名は、鯨飲馬食の会とすべきであろう。私自身、この会の思い出を辿[たど]るとき、桜や紅葉のことよりも、一緒の部屋で寝た某君の鼾[いびき]が暴走族のオートバイのごとくであったとかいうことの方が、よほど印象深いのである。
龍太さんは、地許[じもと]だから、大抵は石和あたりから合流して、すでに車中から酒の廻っているわれわれがワイワイ騒いでいるのを、にこやかに楽しげに眺めておられることが多い。それでいて講中に龍太さんの姿がないと、やはり句でいえば季が落ちているような、花でいえば匂いが消えているような、そんな気分になる。つまり、龍太さんのまわりには、何か土地とのつながりを想わせるような、ある種の安定感が漂うのである。
あれは昨春のコーフコーのとき、幸か不幸か私は持病のメニュエル氏病が起って参加できなかったのだが、参加者がほとんど全員、集団中毒にかかるという珍しい事後があった。いくら鯨飲馬食の会でも、こんなことは後にも先にも例がない。原因はよくわからないが、とにかく旅行から帰ってその晩あたりから、職業、年齢、性別を問わず、講中はバタバタと倒れた。私のところへも、何人かから病気見舞もかねて旅行の報告の電話があったが、その最中に、「あ、腹が痛くなってきた」という人がいて、ちょっとした恐慌状態のようであった。さいわい中毒は一過性のもので、二、三日たつと皆、元気よくなった。そして、この中毒事件をサカナに集って飲むようになった。
不思議なのは、中毒の原因がわからないこともだが、参加者のうち最高齢の井伏さんと、一見虚弱そうな龍太さんだけが、身体に何の変調もなく無事なことであった。それでも井伏先生の方は、お酒ばかり上って旅館の朝食は全然箸もつけらろなかったというから、ある程度納得が行くとしても、龍太さんは朝食もちゃんと食べたというのだから、これは不思議だ、と皆が顔を見合わせた。その年の暮、龍太さんが東京へ出てこられたとき、皆で集って、またその話になった。誰かが、「井伏先生と龍太さんだけが助かったというのは、あれは甲州の神さまが土地の縁のある人を救ったということかな」というと、龍太さんは、「いや、そんなハズはないんですがねえ」と、真剣な顔で頭をかかえるのが可笑しかった。しかし、龍太さんが「旦那」の風格をおびて見えるのは、まさにそういうときなのである。実際、龍太さんはこの中毒にかからなかったことを自分の責任のように思われるらしかった。
一般に旧家の旦那 - 地主階級の人たち - は不労所得者の代表のように言われ、戦前の農民劇などでは小作人いじめの悪役とされることが多かった。しかし、戦前の日本の文化を底辺から支えてきたのは、じつは地方の農村に昔から根を張って村を治めてきた人たちではなかったか、と私は思っている。龍太さんが先祖伝来の土地に腰を据えて暮らしておられるのは、どういう事情によれものか私は知らない。けだし、精神の自立を計り、俳人として生きる上でも、これは最も大切なことなのであろう。ただ、井伏さんによれば、龍太さんが自宅の近くの渓流で釣りをしているときの後姿は、まるで案山子が立っているようで、見る間にあたりがシグレてきそうな風情がある、ということだ。