(巻二十五)小春日や杖一本の旅ごころ(村越化石)

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(巻二十五)小春日や杖一本の旅ごころ(村越化石)

 

三月八日日曜日

 

小雨の降る寒い日曜日であります。細君は生協へ出掛けたが、あたしは終日家に籠る。

 

(顔本)

南太平洋の方から参加申込みがあり、ご入会頂いた。南アジアの方が多いので少し平らになればと思う。

 

細君が洗濯したが、何事もなく終ったようだ。何であたしの時にだけ止まるのだ?

 

(BBC)

今週はCrowd Science で

why are we obsessed with crime?

という番組を聴いてみることにした。

なぜ犯罪小説やドラマが人気を集め、犯罪報道が関心を集めるのかについて、人類学者は人類の危険回避本能による情報収集活動だとせつめいしていた。

良いニュースは読まれず、悪いニュースには飛び付くという本能と同じようだ。

 

(読書)

 

「「つゆのあとさき」を読む(一部抜き書き) - 谷崎潤一郎岩波文庫 谷崎潤一郎随筆集 から

 

《 そののちに発表された「おかめ笹」「かくれがに」等の作品は皆これを証する。すべてこれらの小説は、現代に材を取りながら、その形式も、文章も、共に古めかしくなつかしい感じのもので、これを明治時代の『新小説』や『文芸倶楽部』誌上に発見したとしても、さまで不似合いではないであろう。作者自身はどう感ぜられるか知らないが、私はこの数年間が荷風氏の芸術の沈滞期であったと思う。少なくともわれわれの眼には、「腕くらべ」を頂点として、氏の創作力は下り坂になりつつあるように見えた。何より私の懸念したのは、氏の筆がだんだん干涸[ひか]らびて来て、「腕くらべ」に見るような典雅な潤いが乏しくなり、妙にパサパサして、荒[すさ]んで来たことであった。けだしこの期間における絶品としては、かつて復活後の『明星』誌上に連載された「雪解[ゆきどけ]」の第一章であろう。私はあの麗しい雪晴れの朝の描写を読んだとき、「荷風先生いまだ老いず」と思ったが、しかしあれとても、傑れているのは冒頭の叙景だけであって、第二章以後は頗[すこぶ]るあっけない気がした。》

 

と批評していますが、あたしには文学的なことはわかりません。江藤淳氏の評論や新藤兼人氏の荷風分析の方があたしには読みやすい。