(巻二十五)三寒の風の残りし四温晴(山内山彦)

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(巻二十五)三寒の風の残りし四温晴(山内山彦)

 

3月11日水曜日

 

久しぶりに朝まで目覚めることなく眠ることができた。ありがたい。 あたしなんかが悩んでも何にもならないことを体が少しずつ判ってきたのかな。

 

生協に出かけた細君がついでに花屋さんに寄り、ミカンの植え替えの相談をしたそうだ。時期はもう少し暖かくなってからで、土は注文済みとのことだった。植え替えの技術指導もして頂けるとのことだから、なんとかなるだろう?

戸建てに居たころ地面にミカンの木を植えていた。ほったらかしにしておいても枯れず、季節が来れば蝶々が卵を産みに来てくれた。

こちらに転居したが、蝶々に来て貰いたくてミカンの鉢を購った。鉢物は地植えのようには行かず手が掛かるが、蝶々の飛来を楽しみしている。

 

「重要なお知らせです」と黒揚羽(浪越靖政)

 

(散歩と買い物)

細君が買い残した米を買った。米に関しては冷静な状態に戻ったようで、二キロの無洗米が百円安くなっていた。

 

散歩は歩数も稼いだが、安眠に繋がると云うからお日さまもたっぷりと浴びておいた。

 

あたたかきドアの出入となりにけり(久保田万太郎)

 

(読書)

「たったひとつの選択 - 色川武大」中公文庫 いずれ我が身も から

 

を読んでみました。とにかく内臓がボロボロで享年六十歳かな?

 

《 どういう死にかたがよいか、と考えても、若い娘に理想の男性を訊くのと似て、やがて直面した死にかたをするより仕方ないから、無駄な考えに近い。》

 

と書き出していらっしゃる。

転結の“結”では老いることで死に憑かれることを書いている。

 

《 今はまだ安楽死が許されていないから、たったひとつ自分で選べる死に方は、自殺である。

やっぱり若い頃、私は自殺に対する抵抗力はかなりあると思っていた。これ以上恥をかきようのないどん底を早く経験していたから。けれどもそんなことはぜんぜん当てにならない。もしピストルがあったら、すぐさま死んでいたにちがいないであろうということが、近年だけでも三度ある。一度などは、死のうと思って九州の涯まで出かけたくらいである。

私の友人でも、若い頃かなり強い生き方をしてきた人で、初老を迎えてなかば自殺に思える死に方をしているのが何人もある。それぞれ理由があって、自分から体調をこわし死に近づいてしまった。大きな声ではいえないが、私も、生死のことなどあまり大仰に考えたくない。》

 

“起”と“結”は以上てあるが、色川氏の場合はまだまだ生きて創作活動を続けていたかったことが、このエッセイの中盤ではっきりと書かれている。ここはあたしのような萎えた初老とは違うところだ。

 

《 すると私が仕事ができるのは、あと五六年しかない。これが口悔[くや]しい。若い頃はそう考えずに、手早く小さくまとめようとしないでできるだけ時間をかけようとした。私は頭でこしえる方ではないから、できるだけじっくり生きて、自然に身からにじみだすのを待たなければならない。それが今はもうそんな悠長なことはできない。

たとえば十年かけてまとまる仕事を駈足で二年でやったとて、私のようなタイプはろくなものができないのである。

すると、五年以内でまとまるようなテーマだけを手がけていくべきなのであるか。

それとも、終点のことは考えず、あくまで十年がかりの仕事を手がけていって、途中で討死するのが人らしいことなのか。

いずれにせよ、一生をかけて、自分は何かを実らせるというところまでは行きつかないらしい。》