2/3「虫のいろいろ - 尾崎一雄」岩波文庫 暢気眼鏡・虫のいろいろ から

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2/3「虫のいろいろ - 尾崎一雄岩波文庫 暢気眼鏡・虫のいろいろ から

私がこの世に生れたその時から、私と組んで二人三脚を続けてきた「死」という奴、たのんだわけでもないのに四十八年間、黙って私と一緒に歩いて来た死というもの、そいつの相貌が、この頃何かしきりと気にかかる。どうも何だか、いやに横風[おうふう]なつらをしているのだ。
そんな飛んでもない奴と、元来自分は道づれだったのだ、と身にしみて気づいたねは、はたちちょっと前だったろう。つまり生を意識し始めたわけだが、ふつうとくらべると遅いに違いない。のんびりしていたのだ。
二十三から四にかけて一年ばかり重病に倒れ、危うく彼奴[きやつ]の前に手を挙げかかったが、どうやら切り抜けた。それ以来、くみし易[やす]しと思った。もっとも、ひそかに思ったのだ。大っぴらにそんな顔をしたら彼奴は怒るにきまっている。怒らしたら損、という肚[はら]だ。急に歩調を速めだしたりされては迷惑する。
こういうことを仰々しく書くのは気が進まぬから端折[はしよ]るが、つまるところ、こっちは彼奴の行くところへどうしてもついて行かねばならない。じたばたしようとしまいと同じ - このことは分明だ。残るところは時間の問題だ。時間と空間から脱出しようとする人間の努力、神でも絶対でもワラでも、手当り次第掴[つか]もうとする努力、これほど切実で物悲しいものがあろうか。一念万年、個中全、何とでもいうがいいが、観念の殿堂に過ぎなかろう。何故諦めないのか、諦めてはいけないのか。だがしかし、諦め切れぬ人間が、次から次へ積み上げた空中楼閣の、何と壮大なことだろう。そしてまた、何と微細繊巧を極めたことだろろう。 - 天井板に隠現する蜘蛛や蠅を眺めながら、他に仕方もないから、そんなことをうつらうつらと考えたりする。
 


また、虫のことだが、蚤の曲芸という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで読んだことがある。蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。彼は得意の脚で跳ね廻る。だが、周囲は鉄壁だ。散々跳ねた末、若[も]しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。試しにまた一つ跳ねて見る。やっぱり無駄だ、彼は諦めて音なしくなる。すると、仕込手である人間が、外から彼を脅かす。本能的に彼は跳ねる。駄目だ、逃げられない。人間がまた脅かす、跳ねる、無駄だという蚤の自覚。この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。
このことを、私は随分無慚な話と思ったので覚えている。持って生れたものを、手軽に変えてしまう。蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慚な理不尽さは少なかろう、と思った。
「実際ひどい話だ。どうしても駄目か、判った、という時の蚤の絶望感というものは、 - 想像がつくというかつかぬというか、ちょっと同情に値する。しかし、頭かくして尻かくさずという、元来どうも彼は馬鹿者らしいから.....それにしても、もう一度跳ねてみたらどうかね、たった一度でいい」
東京から見舞いがてら遊びに来た若い友人にそんなことを私はいった。彼は笑いながら、
「蚤にとっちゃあ、もうこれでギリギリ絶対というところなんでしょう。最後なもう一度を、彼としたらやってしまったんでしょう」
「そうかなア。残念だね」私は残念という顔をした。友人は笑って、こんなことをいい出した。
「丁度それと反対の話が、せんだって何かに出ていましたよ。何とか蜂、何とかいう蜂なんですが、そいつの翅[はね]は、体重に比較して、飛ぶ力を持っていないんだそうです。まア、翅の面積とか、空気を摶[う]つ振動数とか、いろんなデータを調べた挙句[あげく]、力学的に彼の飛行は不可能なんだそうです。それが、実際には平気で飛んでいる。つまり、彼は、自分が飛べないことを知らないから飛べる、と、こういうんです」
「なるほど、そういうことはありそうだ。 - いや、そいつはいい」私は、この場合力学なるものの自己過信ということをちらと頭に浮べもしたが、何よりも不可能を識らぬから可能というそのことだけで十分面白く、蚤の話による物憂[ものう]さから幾分立直ることができたのだった。