(巻二十五)足るを知るそう言われても青蛙(川辺幸一)

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(巻二十五)足るを知るそう言われても青蛙(川辺幸一)

 

3月13日金曜日

 

(散歩)

散歩の途中で二軒ほどドラッグストアを覗いたがクリネックスが棚に残っていた。また、トレペーをぶら下げたおばさんも見かけた。

細君の試算だと三日で一ロールだという。ウオシュ何とかを使っているのに二人でそんなに消費するものかと思ったが、余裕をもって見積もっているのだろう。

まさに、

 

足るを知るそう言われても青蛙

 

ということか。

 

(読書)

図書館は三月いっぱい休館だから、角川俳句の3、4月号は4月までは読めない。4月に入って読めるかな?

図書館の書架での立読みでコチコチして手元に残して置きたくなる作品に出逢うのは格別の悦びです。

 

『人間臨終愚感-山田風太郎』や『水の流れ・永井荷風文学紀行-安岡章太郎

 

などがめぐり逢った作品です。

 

資本論」抜けば雪降る書架の裏(今井聖)

 

手元にはまだ未読、未再読の文庫本がたくさんあるので読むものが無くなるということはありません。ではありますが、コチコチしたくなる作品が文庫の随筆集一冊のなかに五つも十もあるわけではございません。生意気ではありますが、独歩の『武蔵野』では「たき火」だけでしたし、春樹氏の『村上朝日堂の逆襲』でも「猫の死について」(済み)と、無理すれば「ラム入りコーヒーとおでん」(まだ)がコチコチです。

 

読むことに尽きる生涯春の雨(岡田泰)

 

今はあまり重い作品は読みたくない心持ちなので、

 

「後輩「ひさし君」 - 菅原文太」文春文庫 89年版ベスト・エッセイ集 から

 

をコチコチいたした。文太さんとひさしさんは仙台一高新聞部の先輩後輩だそうだ。

 

《 今でもひさしさんに会うと、「あの頃も先輩は短気でかっとしやすかった」と言われる。自分では気弱な文学少年だったと思っていたのだが、論の最中に「先輩、それは違いますよ」と言われ、すぐムッとしたところをみると、これはひさしさんの記憶の方が正しいと言わざるを得ない。 》

 

《 後年のことだが、私は早稲田大学を除籍になる前の二十九年頃、大学の先輩の松尾さんというフランス座の舞台監督を頼って文芸部に入ろうと数回通った。松尾さんにおごられて居酒屋で飲んだ折り、同席していたフランス座の花形だった八波むと志さんに、「お前、役者にならんか」と誘われた。文学の才能があると自負していた私はまたムッとして、それきりフランス座に行かなくなってしまった。

それと前後して、ひさしさんはフランス座の文芸部員となり、大作家への道を歩むことになった。》

 

文太逝きトラック野郎哀悼に皆鉢巻の今朝の国道(白井善夫)