1/2「或る田舎町の魅力 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から

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1/2「或る田舎町の魅力 - 吉田健一」中公文庫 汽車旅の酒 から

何の用事もなしに旅に出るのが本当の旅だと前にも書いたことがある。折角、用事がない旅に出掛けても、結局はひどく忙しい思いをさせて何にもならなくするのが名所旧跡である。極めて明快な一例として、鎌倉に旅行した場合を考えて見るといい。余り明快でそれ以上に、何も言う必要はないだろうと思う。
勿論、名所旧跡である場所でも、見物しに行かなければいい訳であるが、そういうものがある場所の人間は習慣から、観光客を逃すまいとしてきょろきょろしている癖があり、それがその町の空気を変なものにして、何もしないで宿屋で寝ていてもどうにも、落ち着かなくなっていけない。その昔、何年振りかで又パリのルーヴル博物館の中庭に立つことになり、頻りにそのもっと昔を懐しんでいると、アメリカ英語を話すガイドが早速やって来て案内しようと言い、不愉快に思って黙っているのに向うも勝手に腹を立てて、悪態をついて行ってしまった。
尤も、パリ位の大きな町になれば、大きいだけに町の人間が観光客ばかりを相手にして暮してはいなくて、ルーヴルのガイドでもない限り、大体、放って置いてくれるが、普通に名所旧跡で知られている場所は、殊に日本では、その他に何もなくて、それがそこの気分を旅人にも慌しく感じられるものにする。箱根では温泉であり、吉野では桜であり、奈良がいい町なのは名物の寺や仏様が本ものの名物だからで、従ってこれは例外である。
それで、何もない町を前から探していた、と言うよりも、もしそんな場所があったらばと思っていて見付かったのが、八高線の児玉だった(高崎線の本庄からもバスで約二十五分で行ける)。幾ら何もないのが条件でも、それには更に条件が付いているのは説明するまでもないことで、例えば、筆者が今これを書いている新宿区払方町の三十四番地も何もない所だが、余り何もなくて、こんな所に旅までして行く気は少しも起らない。やはり、何もない上に、何かそこまで旅に誘ってくれるものがなければならないので、昔は秩父街道筋の宿場で栄えた児玉の、どこか豊かで落ち着いている上に、別にこれと言った名所旧跡がない為ののんびりしたい心地にそれがある。併しその前に、どうしてこの町があることを知ったかを説明しなければならない。
要するに、三年か四年前に、児玉の高等学校から(そういうものは児玉にもある)、講演に来るように言われたのである。これはチャタレイ裁判の縁だったので、伊藤整氏が八高線の終点の八王子附近に住んでいたのがやはり講演を頼まれ、そのお相伴にこっちも呼ばれて行くことになった。そして伊藤さんは間際になって来られなくなって、それでこっちは二人の持ち時間一杯、喋らされて息も絶えだえになったが、そのお蔭で児玉がどんな町か知ったのだった。後で御馳走になった料理屋の前が児玉の大通りらしくて、向う側の薬屋には昔ながらの、二階の屋根と同じ高さ位の中将湯の看板が二階の障子を隠していた。戦争で焼けなかった児玉にはそういう店がまだ残っているのが、南都も懐しく感じられた。その店を見付けたのが丁度夕方になった頃だったこともその気持を手伝った。随分、沢山の講演料を貰ったことも覚えているが、この方は伊藤さんの分も入っていたのだろうから、別に不思議はない。
それから何年かたって今月、児玉のことを思い出して、又行って見たくなった。無理すれば日帰りで行ける所に一泊するのも、横須賀線で乗り越ししてよく田浦辺りで一泊していた頃の記憶を甦らせてくれていいだろうと考えた。それで「旅」の編集部の岡田さんに頼んで児玉のことを調べて貰った。三、四年前とは様子が違っているかも知れないし、八高線の汽車が出る時間ももう覚えていなかったからである。
岡田さんが提供してくれた資料のお蔭で、児玉は本庄からバスで行くことも出来ることが解ったが、やはり八高線で行くことにした。八高線というのは八王子から高崎まで、聞いたこともないような駅ばかり通って行くがら空きの線であるのから見るとどうも昔、軍事上の必要から作られたものではないかと思う。併しそれだけに、これものんびりした線で、これで行って児玉の駅で降りる所に何とも言えない味いがある。序[つい]でに、八王子までどうして行くのか知らない人の為に書いて置くが、やはり岡田さんに教えられて、浅川行きの国電が八王子を通ることを知って驚いた。浅川行きというのはいつも見ているので、八王子はそのもっとずっと先にあるのだと思っていた。前に鎌倉から行った時は、横須賀線から横浜線に乗り換えて八王子に着いたのだった。
八王子で八高線に乗り換える頃から、児玉行きの気分が始る。兎に角、乗客が少くて二等はないが、英国の汽車と同じことで三等で楽に行けるから、二等車など付ける必要はない。始発十一時三十分、終発が十五時二十二分で、日に四本しか出ていないのもこの線らしい。だから軍用でなければ全く鑑賞用で、その他に今日では、沿線の基地に住むアメリカの兵隊さんが利用している。
八高線の景色も変っていて、信越線で通る関東の平野は如何にも関東風に寂しいものであるが、この八高線はそのどこか裏を通っているようでもっと人間臭くて、早くから開けた昔の街道か何かがこの辺にあったのではないかと思う。そしてそんな積りで懐古的になっていると、急に洋風の住宅がやたらに現れて、どこの飛行場なのか、真黒に塗った四発の飛行機がずらりと並んでいたりする。乗客にしても、何を話しているのかちっとも解らないのがこの辺の方言で、よく解るのでどこの言葉だろうと思って考えて見ると、それが英語だったりする。
併しやはりのどかな、眠くなるような景色が主で、児玉まで八王子から二時間半以上掛るから、今度は心得て菊正の壜詰めを一本と毛抜き鮨を一箱持って行った。八王子を十四時に出る汽車を選んだのである。前に行った時はお天気で、実際に眠くて嬉し涙が出そうな、きらきら光る小川の脇に萱葺きの屋根ばかりの村があったりしたが、今度は曇っていて、それがどこだったか気が付かなかった。その代りに酒と毛抜き鮨があって、汽車の速度は八王子まで乗って来た国電の後では日本一にのろいものに感じられた。余りゆっくり進むので、コップを席の肘掛けに置いても、転げ落ちる心配がないのも有難かった。児玉に行こうと思う人には是非この八高線をお勧めする。上野から本庄まで信越線で行けば、準急ならば直ぐに降りなければならない。