「セントルイス・カレーライス・ブルース - 井上ひさし」ちくま文庫 カレーライス大盛り から

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セントルイス・カレーライス・ブルース - 井上ひさしちくま文庫 カレーライス大盛り から
戦争が終わって間もないころから昭和三十年代の初めごろまでの十数年間は、あのすばらしいストリップショーの黄金時代だった。
ここで云うストリップショーとは、現在おこなわれているような、観客の紳士諸君の下半身とヌードダンサーたちの下半身とを一直線で結ぶ即物主義の性器開陳会[かいちんかい]とは、根本から発想のちがう演出[だしもの]である。現在のものを衛生博覧会まがいの代物とするなら、あのころのストリップショーは一個の、歴とした演劇表現だった。とりわけショーと併演[へいえん]されていた芝居のおもしろさといったらもう.....と、どうしても現在のヌードショーを貶[おとし]めるような言い方になってしまうのは、当時、ストリップ劇場で文芸部員をしていたからで、ただそれだけのこと、別に現在のヌードさんに恨みはありません。
あの時分のストリップショーは、その手本をパリのフォリーベルジェールやニューヨークのジークフェルドのショーに仰ぎながら、観客をティーズ(思わせぶりにじらす、の意)するダンスとギャグ(笑わせる工夫、の意)とを正面に押し立てて、たしかに女性の体のまばゆいばかりの美しさをみごとに表現していたように思う.....と、いくら書いたところで、あのころのストリップショーの魅力を文章で分かっていただくのはむずかしい。ヴェニスの観光地図を見せて、「ヴェニスの大運河はすばらしい」と云っているようなもので、面倒な言い方をすれば隔靴掻痒[かつかそうよう]というやつである。そこでたいていはこのへんで筆先をほかへそらせてしまうのだが、最近、力強い味方が現れた。このほど上梓[じようし]された橋本与志夫氏の『ヌードさん』(筑摩書房)は、当時のストリッパーたちの歴史的な写真(私にはそれ以外に言いようがない)を満載して、読者の魂を往時のストリップ劇場の観客席や楽屋へ一気に引っさらって行ってくれる貴重な本である。どうかお求めいただきたい。そしたらうんと説明がしやすくなる。
中でも、見開き二ページにわたる浅草フランス座のフィナーレの写真には圧倒された.....このページだけでも立ち見をしていただきたいぐらいだが、踊り子さんとヌードさん合わせて二十三人、舞台狭しと(当時のストリップ劇場の舞台はほんとうに狭かった。中で浅草フランス座は業界第一の面積の広さを誇っていたが、それでも新宿紀伊國屋ホールの舞台ぐらいしかなかった)踊っている。玉川みどり、河原千鳥、月野初子、高原由紀、マヤ鮎川.....みんな懐かしい女[ひと]たちばかりだ。
そして、ここが大事なところなのだが、下手の黒幕の向こう側では、私たち文芸部進行係が、緞帳を下ろす頃合いを窺いながら、数台の電気コンロに数個の飯盒をのせて、セントルイスのカレー汁[じる]を煮ていたはずである。
ところで、私は食べ物というものにまったく関心がなく、白米の御飯があればそれで満足、あとは出されたものをただ食べるだけの、じつにつまらない人間である。どういう食べ物を「ごちそう」というのかも分からず、したがってこの解説にしても書きようがなくて、こうやってしきりに油を売っているのだが、前出の『ヌードさん』には、ストリップ劇場における「踊り子の階層」についての説明が省略してあるので、そのあたりへ筆を遠征させて、今後もできるだけ「ごちそう」には近づかないようにしたい。踊り子の階層についての説明がどうして大切かと云えば、それで給料はじめ楽屋の割り振りなど、待遇がまるでちがってくるからである。
まず、見習踊り子さん。浅草フランス座は小規模ながら、舞台ダンサーの養成所を持っていた。新聞広告を見てやってきた娘さん、支配人が銭湯からスカウトしてきたお嬢さん、夫に急死されて糧道[りようどう]を断たれた若い未亡人、そういった素人さんたちが、数週間、稽古場できびしく鍛え上げられて、舞台に上がってくる。彼女たちはオープニングや真ん中へんの小フィナーレやおしまいの大フィナーレで、観客からできるだけ離れて(ということは舞台の奥の方で)踊る。衣装の面積は広く、武骨な乳当[たたあ]てをし、下半身は半ズボンを縮ませたようなもので覆っている。給料は五、六千円といったところ。ちなみに私たち文芸部進行係の月給は三千円で、もりそばを百枚も食べればなくなってしまった。
見習の上に、踊り子さん階級がある。ここへはダンスに上達し、舞台にも慣れた見習踊り子さんたちが昇進してくるが、そのほかにも日劇ダンシングチームやSKDから横滑りしてくる女[ひと]も多かった。そんなわけで踊り子さんたちはみんな上手に踊った。この中からショーと併演される芝居の方へ出演するひともいて、いわばこの階級が劇場の実質的な担い手だったといってよい。玉川みどりや河原千鳥は、渥美清長門勇谷幹一と四つに組んで客席を沸かせ、女優としての才能も見せていた。これら踊り子さんたちの月給は二万前後、衣裳面積はやや小さくなり、それと反比例して衣裳のデザインは派手になる。しかしストリッパーの証であるツンパ(布地をぎりぎりまで節約した一種のパンティ)は、はいていない。ツンパをはくのは、その上のセミヌードさん、そして股間にバタフラアを舞わせて踊るのは劇場の花形、ヌードさんだけである。
セミヌードさんとヌードさんとの、もっとも大きなちがいは、乳房を出すか出さないかにある。出せば月給は十万を超え、出さなければ八万どまりである。そこで支配人は「出せば出す出さねば出さぬギャラなれど出してくれなきゃ小屋はつぶれる」といった式の、わかるようでいてよくわからぬ文句を短冊に書いて事務室に貼り出していた。
観客の人気は主として、踊り子さんたちに集まる。セミヌードさんやヌードさんたちは、あっちこっちの小屋から声がかかり、どうしてもギャラのいい方へ動いてしまうから、馴染みの客をつくる暇がないのである。それに彼女たちのほとんどにヒモがついている。客は敏感だから、それほど気を入れて贔屓[ひいき]したりしない。
ところが踊り子さんたちは小屋に居つく。客の立場から云えば、「いつ行っても、あの女[こ]がいる。またあの女[を]観に行ってやろう」ということになる。こうして楽屋は、そういった贔屓客からの差し入れで賑やかになる。では客たちはどんなものを差し入れしたのだろうか。永井荷風高見順サトウハチローたちが根城にしていた国際通りの喫茶店、「セントルイス」特製のカレーライスが、断然、他を圧していた。毎日のようにカレー汁と白飯が届くのである。その汁を飯盒に集めて水を差し、薄くのばして量をふやすのが、私たち進行係の、なにより大事な仕事だった。こうして何倍にもふえたカレー汁は、午後遅く、楽屋中に振る舞われた。そして私たちの分け前は、踊り子さんたちの好意で飯盒の内側にたっぷりとこびりついて残されたカレー汁で、ここに白飯を放り込んで食べるのである。味音痴にもあれだけはおいしかった。たぶん踊り子さんたちの心意気のようなもので味付けされていたからおいしかったのだろう。そういうわけで、『ヌードさん』の見開き写真からはカレーの匂いが立ち上っている。