「老人六歌仙 - 渋沢秀雄」文春文庫 巻頭随筆1 から

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一昨年(昭和四十四年)の一月に、私はNHKの「老後とは」というテレビ番組に出た。五人の老人が各自の仕事などを語ったのである。私も自分を老人だとは思っているが、「老後」と銘を打たれて見るとうれしくない。しかも同席した林タカシさんや東郷青児さんたちのなかで、残念ながら私が最年長だった。
そのとき私は仙ガイ和尚の「老人六歌仙」という歌を披露した。以前第一生命の矢野一郎さんにおそわったものである。すると私の宅やNHKへ、その歌を教えてほしいという注文が数通きた。注文主はみな老人で、反省の資料にしたいというのである。私は歌を写して未知の人たちへ郵送した。
昨年の十月早々、私はNHKラジオの「早起鳥」で、また老人六歌仙を披露した。するとそれから半年ほどのあいだに、十通以上の問いあわせがきた。そこで私は新しい未知の人たちへ、またそれを書き送った。
その少しまえに、私は丸の内の出光美術館で「仙ガイ展」を見た。酒脱[しやだつ]な俳画などが多い。むろん老人六歌仙の直筆も展示されていた。細字で読みにくかったが、カタログには活字で印刷してある。旧仮名づかいで濁点が打ってない。それによると私がテレビやラジオで放送した歌には誤りがあった。そこで私は正しい六歌仙を新仮名に改め、濁点を打って分かち書きにした。
一 「しわがよる ほ黒が出ける 腰まがる 頭がはげる ひげ白くなる」現実曝露の悲哀で、身につまされることばかりだ。若い読者にはぜんぜん関係ないと思うだろうが、若者も生きている限り老人にならざるを得ない。先物を買うつもりで、味読していただきたい。
二 「手は振るう 足はよろつく 歯は抜ける 耳はきこえず 目はうとくなる」いよいよ心細くなってきた。老いが身にしみる。
三 「身に添うは 頭巾襟巻 杖目鏡 たんぽ(湯婆)おんじゃく(温石)しゅびん(溲瓶)孫子手(麻姑の手)」頭巾襟巻杖もナイトキャップ、マフラ、ステッキと呼べば、いくらか若返って聞こえる。目鏡はむろん老眼鏡だ。
ところで足の冷える私は、秋の末から湯タンポのご厄介になる。温石は今の懐炉だ。私も寒中には溲瓶を使う。温かい寝床から、急に冷たいトイレへゆくのは、高血圧の人には危険だという。私は高血圧でないから危険は少なかろうが、それでも蒲団からでずに用が足せるのは有りがたい。不精者には溲瓶さまさまである。
四 「聞きたがる 死にとむながる 淋しがる 心は曲がる 欲深うなる」どうも哀れだ。「聞きたがる」は知識欲旺盛の意味ではなく、この場合は自己中心的好奇心を指すのだろう。そして「欲深うなる」も、事業欲みたいな規模の大きなものではなく、俗にいう「死に欲」の類と見るべきだと思う。 
五 「くどくなる 気短になる 愚ちになる 出しゃばりたがる 世話やきたがる」くどくどなるから簡潔な言動を物足りなく感じる。気短だからカンシャクをおこさやすい。愚痴っぽいのは、事物の短所ばかり見るからだ。出しゃばり、世話やき、共に相手の立場や思惑[おもわく]を無視する自己満足。老いたる相談役が社長時代の惰性で、余計なサシズをしたり、姑が嫁をいびったりするのも、おおむねこの心境のさせる業[わざ]らしい。
六 「又しても 同じ話に 子を誉める 達者自慢に 人はいやがる」記憶力の減退にはんぴれして、自己主張は強くなるから、同じ話を幾度もくり返す。酒に酔った人によく似ている。つまり年に酔っぱらうのだろう。そしてほかに自慢の種もないから、子や孫を誉めたり、自分の健康を誇ったりする。
以上の歌は本年かぞえどし八十歳の私にも、思いあたるフシが多い。ただし私は物欲も少なく、愚痴っぽくもなく、出しゃばり世話を焼いたりしないつもりでいる。そして歯は二本抜けただけであとは健全だ。沢庵でも煎餅でもバリバリ噛める、などと得意になるのは、それこそ「達者自慢に人はいやがる」だから、この辺でやめよう。
さて仙ガイ和尚(一七五〇-一八三七)は美濃の国に生まれ、臨済宗の寺で修業し、三十九歳のとき博多へいった。そして聖福寺の僧となって、後年同寺の住職となったが、晩年は寺の裏にある幻住庵内の虚白院に閑栖[かんせい]し、八十八歳で仏の国へ旅立っている。
昨年の十月下旬、私はその寺へ詣でた。境内が実に広大で、山門、仏殿、法堂、方丈、鐘楼など堂々たるものだった。
方丈の裏に白壁の塀に囲まれた幻住庵があり、塀越しの柿が枝もたわわだ。そして側に古び傾いた虚白院が、見る影もなく荒れ果てていた。八畳二タ間に玄関と小部屋が三つ。屋根瓦は崩れ、床も破れたまま。仙ガイ和尚は百四、五十年前、ここの一室で老人六歌仙を書いたのかもしれない。
と、樟[くす]の巨木から空いっぱいに百舌[もず]の高音[たかね]。地上では秋の日が紫苑[しおん]の紫をいとしそうに撫でていた。