(巻二十五)日脚伸ぶ指しては戻す詰め将棋(漁俊久)

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(巻二十五)日脚伸ぶ指しては戻す詰め将棋(漁俊久)

 

4月2日木曜日

 

(散歩と買物)

 

風は強いがまだ本格的な花吹雪にはなっていないようだ。コンビニの外のベンチで珈琲を喫した。

 

花吹雪あびて振り切る恋もあり(平松うさぎ)

 

珈琲ができるまで側にある新聞ラックの見出を眺めたが、まったくよろしくないなあ。

 

ぴったりとしめた穴だらけの障子である(尾崎放哉)

 

細君も朝一で買い物に行ったが、玉ねぎだとかジャガイモだとか、あたしにも買える重い物のは午後あたしが買い物を受け持っている。新ジャガと新タマを篭に入れた。

 

生協は閑散としていて、買い物客は老人たちだ。介助者に車椅子を押してもらい買い物を篭に入れてもらっている老女がいたがお金はご自分で支払機に苦労しながら入れていた。

 

生きている限り、お金は大切だ。

 

緑なす松や金欲し命欲し(石橋秀野)

 

(読書)

 

「後家 - 別役実ちくま文庫 思いちがい辞典 から

 

《後家というのは、一種の社会的な身分のことである。そして、あからさまにそうは言われていないものの、当の女性にとっては、かなり理想的な身分と考えられている。女性にはすべて、「結婚願望」というものが潜在していると言われているが、実はそれ以前に「後家願望」があることが、今日社会学者の調査によって明らかになりつつある。つまり、彼女たちの「結婚願望」は本来「後家願望」なのであり、ものの道理として「結婚」しなければ「後家」になれないから、それがたまたま「結婚願望」として表明されているにすぎないのだ。

従っておおむねの女性は、早いものでは結婚した翌日から、「いつ後家になれるかしら」と考えはじめる。もっと人生に対して積極的で、計画的な女性は、「いつ後家になろうかしら」と考えはじめる、とまで言われているのだ。それほど、「後家はいい」のである。ただし、時々酒場の片隅などで、決して紳士とは言えないような中年男性が、「後家はいいよ」と言っているのを聞くことがあるが、これは意味が違う。この場合は、それら中年男性の性的対象として「後家は味わい深い」ということを言っているのであって、当の「後家」にとっての身分のことを言っているのではないからである。そして、当の「後家」にとっての「後家はいい」という意味など、中年男性には想像もつかない。つまり、それほど「いい」のだ。》

 

後家はいいんですか?後家は知らずに終わりそうです。

 

終わりたいわけではないけれど、死ぬときは苦しまないようにして貰えませんでしょうか?

 

思い残すことは今のところございません。最後の半年近くを世間との係わりを持たずに静かに過ごせたことは幸せでした。最期に食いたいものもこれといってございません。

 

麗や女々を顧る(青木月斗)