「日本一塩煎餅〈鉄道省事務官・石川毅氏の話〉 - 子母澤寛」中公文庫 味覚極楽 から

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「日本一塩煎餅〈鉄道省事務官・石川毅氏の話〉 - 子母澤寛」中公文庫 味覚極楽 から
塩せんべいの食いまわりをはじめてから、もうかれこれ三十年にもなった。九州から北海道とせんべい一枚食うためにずいぶん苦労もしてみたが、結局、これは江戸を中心の関東の物となるようである。京大阪から関西へかけては、見てくれの綺麗なものもあるけれども、要するに子供だまし、第一あの薄黄色いようなあの辺で使う醤油の匂いが承知しない。前歯でガリリッとかんで、舌の上へ運ぶまでに、めためたになってしまうようでは駄目なのである。舌の上でぴりっと醤油の味がして、焼いたこうばしさがそれに加わって、しばらくしているうちに、その醤油がだんだんにあまくなる。そして噛んでいる間にすべてがとけて、舌の上にはただ甘味だけが残るようでなくてはいけない。
この塩せんべい、日本国中、埼玉県草加の町が第一。噛んでずいぶん堅い、醤油も口へ入った時はぴりッとする位だが、そのうまみは、ちょっと説明が出来ない。舌の上へざらざらが残るの、噛んでいるうちにめためたになるのということは、決してないのである。近くの粕壁[かすかべ]もいい。これは流山あたりの醤油のいい関係も一つだと思っている。草加あたりになると父祖代々せんべいを焼いている家がある。それだから自然町に伝わった一種の焼き方のコツというようなものがあると見えて、むやみに焼けて焦げになっていたり、丸くあぶくのようにふくれ上ったりはしていない。
東京の塩せんべいにはろくなものはない。食べた後でみんなざらざらと舌へのこったり、歯の間へ残ったりする。芝の神明前に「草加せんべい」という看板が出た。草加の人が焼いているとのことだったが、やはり駄目である。むしろの上で干したせんべいは、焼いてもその香がついていていけない。やはり竹あみの上へ一枚一枚吟味したのでなくてはいけない。五反田駅の「吾妻」というせんべい屋は、まず東京では僅かに気を吐いている位のものだ。
塩せんべいで酒を飲むのはなかなかうまいものである。私はこれで「黒松白鷹」をやったり、「大関」をやったり、「銀釜」といろいろやってみたが、おかしなことに、一番ぴたりとうま味の合うのは広島から来る「宮桜」という割に安い酒である。もう五年ほどこの酒でせんべいを食っている。番茶でやるのもよろしい。しかしよく、煎餅を舌の上へのせて、そのままお茶をのむ人があるが、あれは却ってうまくない。せんべいはせんべいですっかり食べてその残りの味が舌の上で消えるか消えないかという時に、お茶をこくりとやるのである。これも上茶はいけない、味のあっさりした番茶に限る。
塩煎餅・カステラ・醤油

青木槐三君という私の友人がある。この人の引合わせで石川さんに逢ったような記憶がある。ただお話を伺うというだけでお目にかかったらしく、自然印象がはっきりしていない。ただ鉄道省の例の青羅紗張りの大きな机の前で、ずいぶん長い時間話し合ったような気がする。その時分の事務官は今の事務官とは事が違うが、石川さんは鉄道の制服ではなく、黒い背広を着ていられたように思う。今、どこかでお目にかかってもとてもわからない。
私は草加だろうがどこだろうが、塩煎餅というものは全く嫌いだし、お酒は一滴ものめないし、石川さんのお話の真髄は本当は味わい切れなかったかも知れないが、しかしそれだけにお話をそのまま素直に受入れて自分だけの判断のうま味を想像することが出来るから、その方が真実より、もっともっと幸福[しあわせ]かも知れない。自分では食べないが「草加煎餅はうまいんだよ」と、石川さんの話以来、本日まで盛んに他人に吹聴しつづけて来たのは事実だから、石川さんの話し方が本当にうまそうだったのだと思う。

幕末の頃の、長崎のカステラ広告に、カステラを薄く切り、わさび醤油で食べると酒の肴として至極上等だということが書いてある。現在われわれの見るカステラとは違っていたという話だが、実は私も試みにこれをやって見た。知合いの料理屋のおかみにそういって、食事の半ばに小さな一片をこれでやったが、ちょっといけるものである。酒の肴にしてはどんなものか、それは私にはわからないが、その後おかみの話に、ああでもないこうでもないと何か珍しいものばかり食べたがっているお客さんへこれを出すと、誉められますといっていた。
一度小壺に少し大きな賽の目に切ってこれを入れ、その上へくるみをとろとろにすって程よい量をかけて食後に出したら、どなたもカステラとはわからず「カステラのようなもんだが、うまい」といったという。おかみはくすくす笑っていた。

石川さんも醤油のことをやかましく言っているが、筆者も関西の醤油はとてもいただけない。京都へ行って滞在していて一番困るのは、うまい蕎麦が食えないことで、これは蕎麦その物がいかにうまくても、あの下地ではとても東京で育ったものには食べられないのである。戦争前四条の橋のところに「にしん蕎麦」というのがあって、あすこで辛うじて我慢をしたものだが、戦後は一度も京都へ行かず、ひたすらあの「にしん蕎麦」さんの健在を祈っている。
しかし関西の醤油を云々する前に、近頃は関東の有名品でもずいぶんひどくなったものがある。会社の経営がうまく行かなくて何にか薬品を入れるのだそうだが、これはいい豆腐へ生[き]のままかけて食べてみるとすぐわかる。びっくりするようにまずい。