(巻二十五)にんげんは面白いかと冬の猫(矢島渚男)

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(巻二十五)にんげんは面白いかと冬の猫(矢島渚男)

4月7日火曜日

今は面白くないが、面白いときはあった。今は面白くないが、閑居して心静かである。面白くはないが静かなのは悪くはない。ここまで来ると、面白いことは要らない。この閑寂のうちに終わりたいと願っているが、そううまくは運ばないだろうと悲観的になっている。

団地のゴミ置き場の後ろに団地の婆さんから餌をもらって生きている野良がいる。

しかし野良よ、婆さんが呉れる餌に頼っていていいのか?お前が何歳かは知らないが、どちらが先に逝くか分からんぞ。

そうか、君は今を生きているのか?

(散歩と買物)

細君が週刊朝日を買って来いという。息子の受験が終わって十二年経つがいまだに大学合格者の決定版を読みたいという。

近所のコンビニには週刊朝日はなく、駅前のエロ本屋の店頭でやっと見つけた。

ついでにちょっと店内を覗き、未だに生存している三和出版のエロ本を拝んだ。

エロ本だから絶滅しないのだろう。

(参考)

『解禁する - 開高健

《 ここ三年ほど外国へいかなかったので最新の実情を自分の眼で見ていないわけだが、欧米へでかけ、ことに北欧を見て帰ってきた知人たちの話を聞くと、どうやらポルノはすっかり下火になってしまったらしい。政府はいっさいの言論・表現の自由を認める立場から従来どおりにポルノ出版もセックス・ショップもおおらかに許可しているのだけれど、客が寄りつかなくなったために業者自身が方針を変えたというのである。いままでようにおおっぴらに店頭で売ることをやめて、妙に秘密めかした、解禁以前のような、こそこそした雰囲気に転換しはじめたというのである。論より証拠といってさしだされるポルノ・ブックを繰ってみると、明瞭に変化が読みとれる。いままでような、解剖学的リアリズムというか、医学的リアリズムというか、そういう全面開放をやめて、むしろわが国でいうチラリズムに変っているのである。肝腎のところをかくしたり、ボカしたり、映画になるとハイ・キー・トーンでトバしたり、というぐあいになってきた。政府が何もいっていないのにポルノ屋が自分で自粛をはじめ、“芸術”がかった方向へ転身をはじめたらしい気配である。》