「良書の推薦 - 森銑三」岩波文庫 書物 から

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「良書の推薦 - 森銑三岩波文庫 書物 から
 
世の中に絶対的な善人も絶対的な悪人も存しないのと同じく、書物にも絶対的な良書、絶対的な不良書というものはない。知名の人々や研究団体で推薦になった書物も難癖を附けようと思えば、何とでも附けられる。推薦に洩れた書物にも認めようと思えば幾らでも認められるものがある。推薦図書を定めるということはむずかしい。その上に推薦に入った書物と、推薦に洩れた書物との間に格段の距離があるように思い込ませるようになっては、そこに多少の弊害ともいうべきものが生じはすまいかと思われる。
それから団体の推薦図書も、実際は何人かの委員に依って選定せられるにせよ、それが団体の名で発表せらるるところから、勢い大事を取ることとなる。その結果、異色はあっても一方に疵[きず]のあるものは棄てられて、無難なものばかりが採られることとなる。時には可もなく不可もないようなものが選に入ったりする。そのために長い間には、推薦図書にはかえって魅力に乏しいものばかりが列ぶことにもなり、推薦図書に対する一般読者の関心も、次第に薄れて行きはせぬかと危ぶまれる。荻生徂徠は、人材は疵物でござるといっている。そしてその疵物を自由に駆使するのが名君でござるともいっている。徂徠のいわゆる人材に当て嵌[はま]るものが、書物の内にもあるわけである。そうした疵は疵として、その書物を活用し得る人が真の読書家であろう。疵のある書物もその長所は大いにこれを認めたいと思うが、役所の仕事としては、それをしにくい悩があるのであろう。それで私は、出版界を向上せしめるためには、一方に厳正な書評を盛にせしめなくてはなるまいと思っている。そのことはなお項を改めていおう。
私は自分の好みに依って書物を見ようとする流儀で、推薦図書の発表にもそれほど留意していないが、伝記書類には特別の関心を持っているところから、どのような人の著した、どのような伝記が推薦になるか、その点に興味を有している。しかしその推薦されたものを見ると、その著者にはこれまで人物の研究家として、どれほどの年季を入れて、どれほど苦労をして来たか、そうしたことの一向に分からぬ人が多い。私には分らなくても、事実骨を折って書いているならばまだよいが、その題目はというと、これまでにもう研究が進められていて、一通りの事実ならばわけなく書かれる人物が多い。題目を一見しただけで、種本[たねほん]は何を使っているのだろうと見通しが附く。そこでそうした書物は、たとい推薦にはなっていても、特に一閲しようという気持も起らず、ついそれなりにしてしまう。推薦図書に依って教えられて、よい伝記書の出版せられたことを知ったという経験は遺憾にしてまだ一度もない。
伝記は創作ではないのであるから、過去の文献に拠るのは当然のことであり、先人の研究を骨子として叙述するのも許されることであろうが、ただ一、二の成書を種本として、安易に書上げたというだけの伝記書類のあまりに多いのには顰蹙[ひんしゆく]せしめられる。そして何々に拠ったということを判然断っているならばまだしものこと、苦心して根本的な資料を蒐集[しゆうしゆう]して作上げたかのように標榜[ひようぼう]したりしている書物のあるのなどはどういうものかと思う。先輩に対しては礼を失し、一般の読者に対するはこれを瞞著[まんちやく]しているものということが出来よう。さような著書の内容に人を動かす力などないことは分り切った話であるが、そうした安易に成った書物が存外多い。少くも私の注意している伝記書類にはそれが多い。それだけのことが明言せられようと思う。
そしてそうしたら何らの特異性もない書物の氾濫を防ぐのには、企画届に主たる参考資料を明記せしめることにすべきだと思う。そうすれば、その拠っている文献だけを一瞥[いちべつ]しても、著者の力量はほぼ判定せられるであろう。この一事は前にも主張して見たことであったが、これも遺憾にして実行せられるに至らない。
書物は個性を重んずる。そのくせ伝記書類には、何らの個性をも有せざる凡書が、ただ一時的な流行の波に乗って、市場へつぎつぎと送り出されている。そしてあまりに凡書ばかりが多過ぎるために、たまたまそれらの内にほんとうによいものが混じっていても、それが気附かれずに、他の凡書並に取扱われてしまう状態にある。これは良書のために歎[なげ]かわしいことである。一の良書を活[い]かすために、百の凡書の出現を防ぐべきである。しかしそのことがなかなか思うように行かないらしい。伝記書類の推薦に対しては、私は更に水準を高める必要があろうと思っている。
ここまで書いて来て私は、往年夏目漱石が学位を辞退した時に発表した「博士問題の成行」と題する一文中の一節を思出した。それは即ち次の如くである。「博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉[ことごと]く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、または左様[そう]思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害が多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅[わず]かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に漏れたるる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭[いと]うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。」
漱石の生前に良書推薦の制度が実施せられて、漱石の著書もその内に加えられたら、少くとも漱石は渋面を作ったであろうと思われる。私は良書の推薦を頭から非難しようとはしないが、漱石がかような言説を発表しているということには、参考に資せらるであろうと思うのである。