「父親とのつき合い - 河盛好蔵」新潮文庫 人とつき合う法 から

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「父親とのつき合い - 河盛好蔵新潮文庫 人とつき合う法 から
 
「二人の人に会う。一人は老人、一人は若者。そして二人並んで歩きながら、たがいに何の話題も見出だせないでいる場合、自分は知る、それが父と子であることを。」こんなことをだれかが書いたのを読んだことがある。

気づまりな関係

人間というものは、心が深く通い合っているときには、おたがいになんにもいわなくとも、結構楽しいものである。しかし父親と並んで歩きながら、おたがいに何の話題も見出しえないのは、心が通いあっているいるのではなくて、おたがいに気づまりである場合のほうが多いのではないだろうか。すくなくとも私などの世代にぞくするものは、父親と顔を合わせた瞬間から、一刻も早くひとりになりたいと願ったものである。
湯川秀樹氏の『旅人』を読んでいると、そのなかに次のような記述があった。「私の小さい時の父は、子供との接触が少なく、むずかしい人に思われた。......私は父に抱かれた記憶がない。世間の多くの子がするように、父親のひざに乗って甘えたり肩先をゆすって物をねだったりしたこともない。」
私の父は、湯川博士の厳父小川琢治先生のような偉い学者とはちがって、一介の商人にすぎなかったが、私もまた父に甘えた記憶はない。いや私だけではあるまい。私たちと同じ世代のものはほとんどみなそうではなかったろうか。
先日、井上靖君と、人とつき合う法について雑談していたとき、「どうも私たちはおやじつき合う法を知らなかった。そして今になって、もっとよくつき合っておけばよかったと後悔している」と井上君は感慨深そうにいった。これは私も全く同感だった。父親というものをつき合いの対象と考えなかったところに、私たちの不幸があったといってもよいだろう。しかし私たち自身は、自分の子供と、うまくつき合っているだろうか。父と子のつき合い方は依然として改まっていないというのが現状ではないだろうか。
さきほどの文章のなかで湯川氏は、父君の厳格だった理由、「子供をあまやかしてはいかん」と母堂をいましめていた理由として、「父は、子供もまた一個の人格として、認めようとしたのかもしれない。それは子供らしさの代りに、一人前の意識を子供に要求することであった」と書いておられる。しかし、こういう父親はむしろ例外であって、世の多くの子供たちの父親に対する反抗は、彼らを一個の人格として認めてくれないところから発するのが一般である。
 
家長としての威厳

大ていの家庭では、父親は家長としての威厳を子供たちに示したがるものである。「だれのおかげでお前たちは安楽に暮していられると思うのだ」というのは、ほとんどあらゆる父親が心のなかに用意している最後通牒である。子供たちは、その手口をよく知っているだけに、それはなんの効きめ ももたず、むしろ彼らをますます反発させる結果になるのである。
最近邦訳の出たアンドレ・ペランの『父』(東都書房刊、佐藤房吉、泉田武二共訳)という小説は、フランスでも大分に評判だったらしいが、父親を憎む少年のこまかい心の動きが実に鮮かに描かれている。主人公のルネはそのなかで次のように語っている。「私を相手にしつこい叱言[こごと]をいっている時、父はひとつの演技を、父という演技をやっているのだという感じを持つことも屡々[しばしば]あった。父の威厳を見せ、それを押しつけるための、要求であり、命令であり、叱責[しつせき]であり、その変らざる酷[きび]しさでもあったのだ。父はそう思いこみ、そうした気持にもとづいて振舞ったのだ。私に対する父の厳格さは、必ずしも常に父の本心とは思えなかった。漠然とではあったが、私には父がそこで芝居を、茶番をやっているようにも思えた - 私のためばかりではなく、自分に向かっても。私の前で、父親らしい体裁をつくるたげでなく、自分の眼にもそれを信じこませたかったのだ。......私は父の底意を看破していた。少なくともそう信じていた。父の態度は、私が父を批判し、非難していると知っての屈辱感をわが身から洗い落そうとしたのである。」
まことに小憎らしい観察であって、私はむしろ父親に同情したいが、このように手のうちを見破られてしまうと、もはや処置なしである。父親としての威厳を示そうとすればするほど、かえって茶番になるばかりである。しかしこの少年は後になって父親をそのように批判したことを後悔しないだろうか。他日彼が父親になって、自分の子供から同じような批判を受けるとき、彼は父親を観察するには別の立場もあったことを、しみじみと悟るにちがいない。
 
父親の悲しさ

父親がつまらない威厳を示したがることが父と子のあいだを遠ざけることになるのは、いく度くり返してもいいすぐではないが、父親にはまた子供に対する“はにかみ”のあることも、子供としてはよく心得ていなくてはならない。
マルセル・パニョールの傑作『マリウス』のなかで、父親のセザールは友人に向かって次のようなことを述懐する。「マリウス(息子の名)は二十四だといっても、おれはまだ、いざって時には、頬っぺたの一つや二つ、なぐっやる。だが、女の話ばかりは、あいつの前で、言いにくいよ。変てこな塩梅[あんばい]でね。“はにかみ”ってやつだろう。父親の“はにかみ”よ。」
父親が年ごろの息子の、もしくは娘の前で話しにくいのは、女(もしくは男)の話や、恋愛の話ばかりではない。心のなかでは一人前の大人、一個の人格と認めながらも、どんな問題についても、友人同士のあいだのようにざっくばらんに話し合うことをはばかる気持がある。それは父親としての威厳を失いたくないという気持ではなくて、むしろ子供に対する尊敬の気持、自分の子供ではあるが一目置くという気持がある。それには喜びと同時に寂しさ、もしくは失意の気持がまじっている場合もあるかもしれない。前述の『父』のなかで、学校の成績のよいルネに向かって父親が「お前が一番だからといってだな、何も......一番は、家では、それは父親だ。よく覚えておけよ」というところがある。たしかにこれはイヤな父親である。しかし、この父親の悲しさもまた理解してやらねばならない。
結局、父親とのつき合いにも、思いやりが大切だということになる。戦後は、家庭における父親の威厳がひどく落ちたということである。そのために父と子のあいだのへだたりが少なくなったとすればまことに結構である。しかしそれと同時に、父の悲しみや寂しさがかえってふえたのではあるまうか。もしそうだとすれば、父とつき合うには思いやりとやさしさがますます必要ということになろう。