「東スポ伝説と十九世紀パリ ー 高橋源一郎」朝日文芸文庫 文学じゃないかもしれない症候群 から

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東スポ伝説と十九世紀パリ ー 高橋源一郎」朝日文芸文庫 文学じゃないかもしれない症候群 から
 
「小説は読まん。読むのはスポーツ紙のポルノぐらいやな」と宣言した鉄工所の社長さんのことを前回とりあげた。ではその社長さんはいったいどのスポーツ紙を読んでいるのだろうか。考えるまでもない。東京スポーツ、いわゆる「東スポ」に決まっているのだ(社長さんは大阪の人らしいから、その場合は大阪スポーツ「大スポ」である)。
この世には朝日新聞や読売新聞や日経流通新聞サンケイスポーツが存在している。いや「前進」や「赤旗」すら存在している(たしか、サンリオの「いちご新聞」というものさえあったような気がするが)。それで充分ではないか。理性を持つ人間ならそう思う。どの新聞を見ても、巨人がシリーズ前半を四位で折り返し、野村證券が損失補填をしたという事実に変わりはないからだ。だが、そんな理性が青ざめる瞬間がある。それは、キヨスクで「東スポ」を見かける時だ。「人間が最後にかかる病、それは希望だ」という名言に倣うなら、日本のサラリーマンが最後にかかる病、それは「東スポ伝説」なのである。
東スポ伝説』(ピンポイント)は「東スポ」の一面を飾った見出しを五十本集め、それを解説した本である。航空機事故が起こっても、「マドンナ痔だった?」という巨大な活字である。原発事故が起こっても一面を飾るのは「人面魚重体脱す」という「緊急速報」である。だから、株価が暴落してもやはり一面は「フセイン米軍にインチキ大作戦」なのである。統一地方選挙社会党が惨敗しようと、エリツィンがロシア共和国の大統領になろうと、一面は「ダイアナ妃大胆乳」でなければならないのだ。「東スポ」は巨大な活字を使って、ただ人をおちょくっているだけなのだろうか(その可能性はそうとう高いが)。『東スポ伝説』の解説者は「東スポ」は「一応、新聞ではあるが、『報道』には主眼を置かない、という革命的な発想」によって「旧態依然とした新聞ジャーナリズムの世界に風穴を開け、活路を切り開いた」と説明しているが、この「東スポ」的「報道」は実は「革命的な発想」などではなかった。「東スポ」的なるものは、いや、現代的なことばの全ては十九世紀のパリに存在していたのである。
山田登世子の『メディア都市パリ』(青土社)にはこんな一節がある。

《.....さらに庶民的な階層のあいだでは一段と格安の「虚報新聞」が出回っていたのである。......その売り物はと言えば、一にかかってセンセーションとスキャンダルであった。......そのトピックスは有名人のゴシップにはじまって、天災、事故、疫病、珍獣、フリークス、そして犯罪、である。......こうした虚報は同一パターンの周期的反復だった......それを知りつつ大衆が買って読んだということは、人びとの心性においてやはり真実への要求より娯楽価値、快楽価値が勝っていたということにほかなるまい。》

これが十九世紀パリの「東スポ」の姿だ。山田登世子がこの『メディア都市パリ』で描きだしているのは「インダストリーの世紀十九世紀が生んだ最大の産業の一つ」ジャーナリズムである。十九世紀前半、情報がはじめて商品となっていた時代を描きだしながら、山田登世子はもう一つの風景も同時に提示する。それは小説の誕生というスリリングな風景だった。
 

《ジャーナリズムの言説のうさん臭さ。「真実」を仮構するその言説の虚構性を、現代のわたしたちはすでに良く知っている。けれども忘れてならないのは、このジャーナリズムと同時代現象であるひとつの言説も同じくらい得体の知れないものであったということである。もちろんロマン主義文学のことだ。.......文学は、大衆から身をひき離し、「選ばれた少数者」としてのおのれの特権化する言説であり、「天才」、「霊感」、「栄光」というのがその典型的な記号である。もういっぽうのジャーナリズムは、大衆によって消費され、なにより市場で「売れる」ことをめざす。一見逆の身ぶりによって離反しあうこのふたつの言説は、その実、深いところで、「いかがわしさ」を共有しあっている。そのふたつに通低するものを一言で言ってしまうなら、それは「成り上がり」ということにつきるであろう。》

バルザック、ネルヴァル、デュマ、メリメ、ユゴー。フランスロマン派の〈成り上がり〉たちの隠された本質を、山田登世子はマルト・ロベールの『起源の小説と小説の起源』(岩崎力・西永良成訳、河出書房新社)を例に出しながら、暴きだしていく。

「マルト・ロベールの言う起源の小説とは『ロビンソン・クルーソー』である。十八世紀イギリス産業社会の勃興とともに生誕したこの小説は、ブルジョワ生まれという小説の身元=起源をあからさまに語り」だしている。父の意思を無視して冒険に飛び出したロビンソンは最後に無人島にたどり着き、そこに自分だけの王国をつくりはじめる。産業の世紀にふさわしくかれは労働によって無からたくさんの物をつくりあげたことは周知の通り。そして「ロビンソンは紙とインクを取り出して日記をつけはじめる。その無人島は、白いページであり、ロビンソンは白紙というその非=場所に虚構の世界=テクストを築いてゆくのだ。......書くという労働によって成り上がること。マルト・ロベールが言うように、小説は『生まれの劣等性を前にした個人の根元的な不満に結びついており』、その個人が自分の力によって出世しうる社会にはじめて出現する。......正統性も系譜も持たず、それまでの文学のいかなる形式にも拘束されないジャンルとして誕生する小説は、それじたい文学史上の〈私生児〉なのだ」

ドン・キホーテ』から『ロビンソン・クルーソー』を経てロマン主義へたどり着いた時、小説という新興ジャンルは完全に離陸する。以来、上昇と下降(その最初の徹底した例こそフロベールである)を繰り返しながら小説は疾走をつづけてきたのだ。机の上の『メディア都市パリ』から目を上げる。あの社長が小説を読まないのは、かれが「小説」的精神を現に生きているからであることが、ようやくわたしにもわかってくる。そのことを、かつてそれほどまでに近い場所で共に生まれたことを、社長も、そして小説自身もいまや忘れさろうとしているのである。