「俳句は石垣のようなもの - 飯田龍太」中公文庫 思い浮ぶこと から

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「俳句は石垣のようなもの - 飯田龍太」中公文庫 思い浮ぶこと から

さきごろ、女性の、それも俳句の初心者ばかりの会にゲストとして出席したところ、最後に、案の定(といっては失礼だが)「俳句がうまくなるにはどうすればいいでしょうか」という質問が出た。
しかし、そんな便利な秘訣があるわけがない。第一、それを知っていたら、だれにも教えないで私自身が、もっとましな俳句を作っているだろう。
まあしかし、そういってしまってはミもフタもないから、次のようにお答えした。
そのひとつ。
一年間、つまり三百六十五日、毎日一句、日記でもいい、家計簿のすみでもいいから書きつけなさい。三百六十五句目には、かならずあなた自身の俳句が生まれているはずですと。けれども、これには大事な条件がある。健康、不健康はもとより、忙閑晴雨にかかわらず、毎日一句は必ず作ること。そして書き記すのは一句だけでいい。いい気分で、十句二十句生まれた場合でも、書き残すのは一句だけだ。
その二。
いついかなる季節でも、自分の好きな先人の秀句を、一句だけ記憶していること。
これにもまた条件がある。その秀句は、過ぎ去った季節の作品ではなく、これからやってくる目前の季をとらえた作品であること。たとえばいま、一月の終りとすると、二月の作品を、二月なら三月のころの、それも自分の身辺に実感出来る卑近な対象をとらえた句がいい。
最後に、もうひとつ。
多分これから、あなたたちも、句会とか吟行会とか、いろいろと旅をされる機会があるだろうと思うが、そんな折りには、いたずらに美しい風景ばかりに目を向けず、そこに生涯住みつくことになったらどうだろうか、と考えてみることだ。つまり、他卿を故郷のごとく、逆にまた故郷にあっては、時に他卿におもいをこめて四時見なれた風景を改めて見直してみることである。
以上の三点だが、一番厄介なのはなんといっても第一の条件ではないかと思う。一年間、雨の日も風の日も、必ず一句作りつづけるのは、なかなか根気がいる。更に、十句二十句のなかから、だれにも相談せず、一句だけ選び出すというのは、余程のおもい切りがないと出来ないことである。
しかし、俳句というものは、結局自選の是非が、その人の将来を決するものである。そのきびしさを最初から身につけることが大事だ。先達に指導を仰ぐ場合でも、基本にその姿勢がなければ、永久に自分自身の作品とはなるまい。
虚子は「選は創作なり」といったそうだが、なるほどもっともなこと。創作なら作者はあくまで参考にすべきだ。参考に対する敬意の深浅こそ師弟交情の軽重。深く敬するためには、先達の否とした作をより深くこころに蔵して自ら養うがいい。一年養ってなお愛着するものが残る作品なら、それこそ作者自身の作品と断じたい。選は創作という考えのなかには、当然自作を含むべきはずのものである。
次の第二点は、経験の鮮度、あるいは、実感と想像の差をたしかめるためである。季語とは、本来期待と惜別の所産。たとえば夏多く見かける燕や蛙が、季題としては春季に定められているようなもの。そこに、

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉

を芭風開眼とした秘密があるのではないか。これを春季と見なかったら、古池に何の閑寂も清韻も生まれてくるわけがない。
第三点には、俳句を風土の詩とする私の考えが、多分に含まれているかもしれないが、しかし、風土と漂泊は、これまた表裏皮膜のもの。どうやら芭蕉晩年の旅の諸相は、この皮膜表裏の展開にあったのではないかと思われる。それが単に自然相だけにとどまらず、ひろく人界一般に及んであの深淵な澄みをもたらしたのではないか。
山のあなたに幸いがあると思った旅でもなければ、幾山河を越えていたずらに淋しさの果てなんことを求めたのでもあるまいと思う。

秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉

の一句は、旅中にあって定住の思いをのべ、自然界に身をゆだねて人のいとしさからのがれ得ぬ凡俗の憂いを言い止めたものではないか。
話は別になるが、私は、時々俳句は石垣のようなものではないかと思うことがある。石垣といっても、近ごろの新建築の公園や、あるいは河川などに見かける、あんな練り積みのけばけばしいものではない。もっと素朴な野面[のづら]積みだ。自然の石をそのまま生かした、あの穴だらけの石垣。田舎に行くといくらでも見かける。田舎でなくとも、大方の城壁がそれである。江戸城でも熊本城でも-。
一見無造作に見えて驚くべき合理性とその耐久力は、石の見える部分より見えない部分に何倍かの力が隠されているためであるという。しかも、あの石垣は、何百何千という無名の石工の、永い伝統に培われた技術が生み出したもの。そこには、ホンモノの姿を、まざまざと見せてくれる真の伝統の美しさがある。
飛躍していうなら、芭蕉晩年の軽みと称するものも、いわば、野面積みの、あの石垣のようなものではなかったか。無造作な、穴だらけの石と石の隙間。しかし、それは三ヶ所できっかりと結び合って微動だもしない。かろやかに見えてどっしりと重く、木にも水にも、ましてや限りない天空との調和は無類。生前句集も句碑も作らなかったように、天守閣の有無、あるいはその新古などもとよりかかわりない。俳句は俳句、石垣は石垣自体のいのちを宿していまなお生きつづけている。
しかも、城壁の場合は、すべて、無名の石工たちによって築かれたというところが私にはたまらなくいい。それならいっそ、俳句の方も、城壁のようにして残してみてはどうだろう。一切の作者名を除いて、真に秀れた現代俳句だけを集めて一集を編んでみるのだ。
もっとも、その日の話が、そんなところまで脱線したわけではなかったが-。