(巻二十五)死後の値の保険に決まるもどり寒(水下寿代)

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(巻二十五)死後の値の保険に決まるもどり寒(水下寿代)

4月21日火曜日

(散歩と買い物)

コンビニで珈琲を頂く。世の中はいつものように動いているようだし、いつもの庭先は美しい(写真)。それが慰めであります。

教会前の礼拝掲示板に説教の題目が出ていて「自己憐憫を戒める」というようなお話となっていました。確かにそうなり勝ちな情況です。自己を捧げるのが流儀でしょうから、自己を憐れむのは掟破りになるのでしょうかね?よくわかりませんが。

冬晴の感謝で始む祈りの語(田川飛旅子)

しますから、

秋高くおだやかな死を給ふなり(浦川聡子)

をください。

と、

すぐに取り引きしたくなるのは品性下劣のためでしょう。

本日は五千二百歩でした。

昨日の続きになりますが、

「誰がために金はある - 邱永漢」中公文庫 金銭読本

に、次の考察があります。

《 かつてに自らの手(?)で神をつくった。そして、自らつくった神に自らをしばりつけることによって生きてきた。今日では神を信ずる者は次第に少なくなり、人々はその代りに金を信じている。金もまた人間が自らの手でつくったものであるが、その金に文字通り金しばりにされて生きている。もし死というものがなくて、金で人間の生命がひきのばされるものなら、人間の世の中ぐらい不合理なものはないだろう。 》

神様にも金にも、そして自己にも縛られない人間は、そんなの人間じゃねえ!ということになるのでしょう。少なくとも生きているうちは無理だろう。

生命は脳に棲むらし鶏頭花(小野寺英子)

図書館が閉まって二ヶ月が経ったのかな。角川俳句は二月号から読んでいない。

文庫本は

麦秋や書架にあまりし文庫本(安住敦)

と、文庫本はまだまだあるのだがコチコチまでして読みたい作品は一冊にそれほどはない。図書館が再開すれば“心の平穏”が得られるような、そしてしっかりとした“諦観”を得られるような作品を探したい。

老臭は死臭の希釈みづからに

嗅ぎつつ慣れん死にあらかじめ(高橋睦郎)

しかし、それだけの時間がないのであれば、定めに従うしかない。

季節感はズレズレですが、頻出秀句、

一枚の落葉となりて昏睡す(野見山朱鳥)

となり、手短に終わりたい。できれば早いとこ昏睡し死の恐怖を味わうことなく連れ去られたい。

また一人消して木枯去りゆけり(モーレンカンプふゆこ)