(巻二十五)残るのは死んだ振りのみ四月馬鹿(本杉康寿)

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(巻二十五)残るのは死んだ振りのみ四月馬鹿(本杉康寿)

4月27日月曜日

洗濯と掃除をいたした。外出せず。
昨晩のおかずの残りがなく昼食は納豆と茹で玉子でいただきました。
それでも、ご飯がいただけるだけでありがたいのです。何がなくてもご飯と佃煮とお新香とお茶があればあたしは文句ございません。

稲妻や白き茶わんに白き飯(吉川英治)

歳を取ると健康であれば金は要らなくなる。衣料費、食費、住宅費と要ることは要るが贅沢をしなければよい。衣食住(住は管理費と電気水道ガスネットNHK新聞)で十万円を下回っているのではないだろうか?
旅行だ、趣味だ、付き合いだと踊らされていればお金は出て行くが、あたしたちは地味で吝嗇だから踊らされないのであります。

あと戻り多き踊りにして進む(中原道夫)

 https://www.bbc.co.uk/programmes/m000b0c5 

(読書)

 「変な音 - 夏目漱石岩波文庫 日本近代随筆選1 から

《 看護婦に一等の病人は何人いるのか聞くと、三人丈[だけ]だと答えた。重いのか聞くと重いそうですと云う。夫[それ]から一日二日して自分はその三人の病症を看護婦から確めた。一人は食道癌であった。一人は胃癌であった、残る一人は胃潰瘍であった。みんな長くは持たない人許[ばかり]だそうですて看護婦は彼等の運命を一纏めに予言した。
自分は縁側に置いたベゴニアの小さな花を見暮らした。実は菊を買う筈の所を、植木屋が十六貫だと云うので、五貫に負けろと値切っても相談にならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと云っても矢っ張り負けなかった、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどして見た。
やがて食道癌の男が退院した。胃癌の人は死ぬのは諦めさえすれば何でもないと云って美しく死んだ。潰瘍の人は段々悪くなった。夜中に眼を覚すと、時々東のはずれで、附添のものが氷を摧[くだ]く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。 》