(巻二十五)若葉して手のひらほどの山の寺(夏目漱石)

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(巻二十五)若葉して手のひらほどの山の寺(夏目漱石)

5月8日金曜日

散歩と買い物

図書館からお寺と廻りコンビニで珈琲を頂き生協で買い物。四千歩くらいでした。

図書館には四ヶ月お邪魔していない。神田の古本屋街にも、デパートの古本市にも出かけていないので読み返すしかない。

ネットで二、三度買って見たが、やはり捲ってから買いたい。

『ボケ老人の孤独な散歩-新藤兼人

を読み返し、

《三文役者殿山泰司は、神も仏もないから、葬式無用、といい残したので、われわれはそのように送った。フリージャズマン高柳昌行のジャズで。しかしもしかしたらタイちゃんの真意は、ゼニがないから、あとに残るものに無用の負担をかけさせたくないという配慮だったのかもしれない。花も実もある立派な死に方であった。

肝臓がんであったから、病状の進行につれて苦痛に見舞われるはずであったが、ほとんどタイちゃんは苦痛なしに最期を迎えた。医薬による医師の裁量であったと思う。苦痛をこらえて十日か二十日ながく生きたって仕方がない。これもひとつの安楽死か。》

に頷いた。

点滴のモルヒネとなり夕桜(結城節子)

漱石と云えば、今晩はNHKラジオで高橋源一郎先生が『こころ』の講義をされているそうでありまして、細君が聴講しているようです。