2/2「葛飾土産(其の二) - 永井荷風」岩波文庫 荷風随筆集(上) から

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2/2「葛飾土産(其の二) - 永井荷風岩波文庫 荷風随筆集(上) から

或日試みた千葉街道の散策に、わたくしは偶然この水の流れに出会ってから、生来好奇の癖はまたしてもその行衛[ゆくえ]とその沿岸の風景を究[きわ]めずにはいられないような心持にならせた。
流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家の散在した陋巷[ろうこう]を過ぎ、省線電車の線路をよこぎると、ここに再び田と畠との間を流れる美しい野川になる。しかしその眺望のひろびろしたことは、わたくしが朝夕その化寓から見る諏訪田の景色のようなものではない。
水田は低く平に、雲の動く空のはずれまで遮るものなくひろがっている。遥に樹林と人家とが村の形をなして水田のはずれに横たわっているあたりに、灰色の塔の如きものの立っているのが見える。江戸川の水勢を軟らげ暴漲[ぼうちよう]の虞[おそれ]なからしむる放水路の関門であることは、その傍[そば]まで行って見なくとも、その形がそのことを知らせている。
水の流れは水田の唯中を殆ど省線の鉄路と方向を同じくして東へ東へと流れて行く。遠くに見えた放水路の関門は忽ち眼界を去り、農家の低い屋根と高からぬ樹林の途絶えようとしてはまた続いて行くさまは、やがて海辺に近く一条の道路の走っていることを知らせている。畦道[あぜみち]をその方に歩いて行く人影のいつか豆ほどに小さくなり、折々飛立つ白鷺の忽ち見えなくなることから考えて、近いようでも海まではかなりの距離があるらしい。
これは堤防の上を歩みなから見る右側の眺望であるが、左側を見れば遠く小工場の建物と烟突のちらばらに立っている間々を、省線の列車が走り、松林と人家とは後方の空を限る高地と共に、船橋の方へとつづいている。高地の下の人家の或処は立て込んだり、或処は少しくまばらになったりしているのは一ツの町が村になったり再び町になったりすることを知らしているのである。初に見た時、やや遠く雲をついて高地の空に聳えていた無線電信の鉄柱が、わたくしの歩みを進めるにつれて次第に近く望まれるようになった。玩具のように小さく見える列車が突然駐[とま]って、また走り出すのと、そのあたりの人家の殊に込み合っている様子とで、それは中山の駅であろうと思われた。
水はこの辺に至って、また少しく曲りやや南らしい方向へと流れて行く。今まで掛けてある橋は三、四ヵ所もあったらしいが、いずれも古びた木橋で、中には板一枚しかわたしてないものもあった。然[しか]るにわたくしは突然セメントで築き上げた、しかも欄干さえついているものに行き会ったので、驚いて見れば「やなぎばし」としてあった。真直に中山の町の方から来る道路があって、轍[わだち]の跡が深く堀り込まれている。子供の手を引いて歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯した荒涼たる水田[みずた]の中に著しく目立って綺麗に見える。小春の日和をよろこび法華経寺へお参りした人たちが柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと帰って行くのであろう。
流の幅は大分ひろく、田舟[たぶね]の朽ちたまま浮かんでいるのも二、三艘に及んでいる。一際[ひときわ]こんもりと生茂った林の間から寺の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている。水のながれはやがて西東に走る一条の道路に出てここに再び橋がかけられている。道の両側には生垣をめぐらし倉庫をかまえた農家が立並び、堤には桟橋が掛けられ、小舟が幾艘も繋がれている。
遥に水の行衛を眺めると、来路と同じく水田がひろがっているが、目を遮るものは空のはずれを行く雲より外には何物もない。卑湿の地もほどなく尽きて泥海になるらしいことが、幹を斜にした樹木の姿や、吹きつける風の肌ざわりで推察せられる。 
たどりたどって尋ねて来た真間川の果ももう遠くはあるまい。
鶏の歩いている村の道を、二、三人物食いながら来かかる子供を見て、わたくしは土地の名と海の遠さとを尋ねた。
海まではまだなかなかあるそうである。そしてここは原木[ばらき]といい、あのお寺は妙行寺と呼ばれることを教えられた。
寺の太鼓が鳴り出した。初冬の日はもう斜である。
わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵[きびす]をかえした。
昭和廿二年十二月