(巻二十五)雨粒の顔に当りてより夕立(山下美典)

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(巻二十五)雨粒の顔に当りてより夕立(山下美典)

5月18日月曜日

本日の句のように散歩途中で雨となり、二千四百歩。

しばらくぶりに、髭の小瓶とバターピーナッツを買ってしまった。

読書

文春文庫 無理難題が多すぎる 土屋賢二 著

という雑文集を百円かそこいらで買った。買ったので書棚にある。

何も期待しないで買ったので腹は立たない。

大学の先生らしいひねくれた教訓集というあたしの分類であり、同じ分類に入れている中島義道先生と同じ哲学者かな。哲学者というのはひねくれ者が多いようだ。池田清彦先生は自然科学系だが、同じ分類に入れてある。

その土屋先生の雑文の中に『幸福になる五つの習慣』という一篇がある。

五つとは、読書の習慣、実行する習慣、わが道を行く習慣、極端に走らない習慣、そして自分を無視する習慣であります。

《「自分を無視する習慣」 - 人間は自分に関心を払いすぎている。自分の財産や自分の健康わ自分の感情しか眼中にない人ばかりだ。自分のことで一喜一憂し、大騒ぎするのは見苦しいかぎりだ。大人物のように自分のことを無視して、自分の幸・不幸などどうでもよくなるぐらい自分に無関心になるのが理想だ。》

と仰っている。ごもっともではありますが、常人には“無理難題”です。

それが例え一時にしても、人によってはパチンコは 自分に無関心になれる状況らしい。 賭事以外にもあるのだろうか?陶酔型の趣味の中にはあるかもしれないな。でも倒錯による自己からの開放は破滅を覚悟しなければならず日常生活との両立は難しいだろう。

酒で酩酊すれば、思考が止まるから、まあ自分のことをあまり考えない。これは薬物系統に通じるが健康と合法性に問題がある。

信仰で鍛えている方もいますなあ。中途半端ではだめで“狂信的”にならないと忘我になれないのだろう。日常生活との両立は難しそうだ。日常生活と両立させている宗教者の方々は“無理難題”を克服されているのだろうか?

自分が無くなれば自分を考えることは出来ないが、死ぬかボケるしかない。

南無南無と他力本願生身魂(谷下一玄)

願い事-すっぱりと叶えてください。