(巻二十五)献立の手抜問はれし花疲れ(岡田順子)

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(巻二十五)献立の手抜問はれし花疲れ(岡田順子)

5月30日土曜日

家事

掃除と毛布干し。

散歩と買い物

午後の散歩を午前に変えた。途中のコンビニ珈琲をアイスに変えた。

図書館の前を通り掲示物を見たが再開についての貼り紙はなかった。6月2日から開くのか開かぬのか分からない。

本日三千三百歩。

生協で米二キロを買い、あの高いマスクの売れ具合を検分した。売れていない。

午前中に散歩をしてしまうと、

紫陽花の午後はさしたる用もなし(山口康子)

であります。

読書

「人情小説の条件 - 出久根達郎」文春文庫 朝茶と一冊 から

《 悪人が、一人も登場しない。現実は善人ばかりということはない。善人なんているかいないか、だろう。だからこの一点だけでも、本書は小説といえる。

よく出来た人情小説である。主人公の柳朝は、むろん面白い。破天荒な落語家だから、当然である。師匠から何度も破門を申し渡される。生きてはいけないと悲観し、柳朝は遺書を書く。

「長々お世話になりました。私は駒形橋から隅田川に身を投げて死にます。探さないで下さい」

師匠(林家正蔵。晩年にこの名を海老名家に返上し、林家彦六と改名)は柳朝を呼びだし、苦虫かみつぶした顔で言う。

「こんど死のうと思った時は黙って死んでおくれ。遺書に場所まで書くこたあない」

柳朝をとりまく人物も、それぞれ癖があって楽しい方ばかり。柳朝の芸を認めた色さんこと、のちの作家、色川武大も登場する。青白い顔をしたバクチ打ちの若者として、まず登場する。 》

吉川潮著『江戸前の男』(新潮社)。

という本の書評のような随筆でした。

“悪人がいないから小説である”の段落に頷き、色川武大氏は多方面で存在感に感心いたした!

願い事-叶えてください。