(巻二十五)欲しきもの買ひて淋しき十二月(野見山ひふみ)
6月1日月曜日
順番で今日は十二月の句になってしまった。
六月が来てだらだらと物を食う(田中朋子)
家事
洗濯をした。雨模様で室内に干した。
毎日風呂掃除をしているが、風呂場の汚れを拭き落とすのが面白い。毎日少しずつではあるが元に戻っていく。今日は入口扉上段のアルミサッシを磨いた。
団地の浴室だから窓はなく、天井も低い。六面のほぼ全てがプラスチックである。油断をすると、そこに黒い黴赤い黴がポツリポツリと蔓延る。
幸いプラスチックの表面は平滑なので黴は拭き取り易い。
歯ブラシで掃除しなくてはならないのが浅い側溝である。ここに赤い黴が張り付くのだ。洗剤をかけて歯ブラシで磨くように掃除をするが、洗剤の泡が薄いピンクになる。
水をかけて泡を流したあとが地の色に戻っていると、そこに達成感を得る。
目に見えし結果が励み草を引く(一寸木詩郷)
顔本
『曹洞宗と仏教を楽しむグループ』という公開グループを閲覧している。
むずかしき禅門出れば葛の花(高浜虚子)
「運」と「縁」ついて、「縁」だと説いておられる。私としては「運」くらいで勘弁してもらいたい。「因果応報」「身から出た錆」、「お導き」ではなく、「たまたま」とか「なんとなく」程度の軽い廻り合わせと云うくらいが好きだ。
なりそめは帰省列車の手弁当(細谷定行)
極楽と地獄については、それぞれの心の中にあるとのお話であり、岸田秀氏と同じかな?つまり幻想。
君地獄われ極楽へ青あらし(高山れおな)
散歩せず
写真は二キロ圏にある大谷派の寺です。
願い事-叶えてください。
行く先はどこでもよくて春の水(仲寒)