(巻二十五)一瞬に残塁ふたり野分めく(能村研三)

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(巻二十五)一瞬に残塁ふたり野分めく(能村研三)

6月2日火曜日

散歩と買い物

細君が外出したので夕飯の弁当を買いに駅前まで出かけた。

途中で図書館を覗いたら再開していた(写真)。利用時間30分以内との制限はあるが書架まで行けた。

利用者は疎らである。新聞雑誌コーナーの椅子は使用できない。閲覧室が開いているのかどうかは確かめなかった。

雑誌コーナーで角川俳句の3月号を取り出し貸出しを受けた。

持ち帰り書き留めた句:

邪魔なもの小突く掃除機春隣(小川軽舟)

春の水さあつれてゆけ地獄まで(竹久夢二)

薄味にいまだ馴染めず根深汁(谷川治)

今日から再開したが、いつまた閉めるか分からない状況だなあラート。

本日四千八百歩でした。

願い事-叶えてください。

長生き殊に長患いをしなければお金は要らないのだが、先のことは分からない。

いつ死が訪れるか分からずお先真っ暗だから年寄りは金にしがみつく。

だが、いつまでそのお金がお金であるかも分からない。

死ぬことを約して生まれ花あかり(鎌田俊)

それはそうなのだが、いつ、どこで、どのように、なにで、死ぬのかが分からない。分かっているのは私が死ぬことと(who)、生まれたら死ぬ (why) ことだけだ。

希望としては、(When)“世の中が激変する前に(つまり、もう死んでもいいのです。)、(What)急性腎障害で、(Where)立石の病院に入院し、(How)手の施しようもなく意識不明となり、そのままさほど苦しまずに一週間後に死んだ”、であります。(Plus how much)

こういう死に方で終われればいい人生だったと思えるかもしれない。

少なくとも、村上春樹氏のところの猫はこの病気でさほど苦しまずにあっさりと死んだようだ。

『 猫の死について―村上春樹

《この猫は元気がよくて固太りした食欲旺盛な雄猫で - このへんの描写は村上龍氏のパーソナリティとは無関係 - 性格も開放的で、うちに来るお客にはなかなか受けが良かった。膀胱の具合が悪くなるといくぶん元気がなくなりはしたが、前日まではとてもそのまま死んだりするようには見えなかった。近所の獣医さんのところにつれていってたまった尿を抜いてもらい、結石を溶かす薬を飲ませたのだが、一夜明けると台所の床にうずくまって目をぱっちりと開いたまま冷たくなっていた。猫というのはいつも実にあっさりと死んでしまうものである。あまりにも死に顔がきれいだったので、日なたにそのまま置いておけば解凍されて生き返るんじゃないかという気がしたほどだった。》

転がつたとこに住みつく石一つ(大石鶴子)