「死にたいする態度 - 水野肇」中公文庫 夫と妻のための死生学

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これまでも、しばしば説明したように、私たちはガンか心臓血管系の病気か事故かで死ぬことになった。きわめて例外的に老衰というのがあるが、これは一〇〇人に一人ぐらいしかない。老衰とは、バランスよくからだ全体がうまく老化して枯木が倒れるように死ぬというもので、ある意味では理想の死に方かもしれない。こういう死に方では、脳も老化して“もっと生きたい”とは思わぬようになっていることが多いといわれる。死に方のなかの“エリート”である。
事故死というのは、ひょっとしたら、いい死に方なのかもしれない。死ぬ瞬間だけのことを考えれば、苦しみが少ないことが多い。とくに飛行機事故などというのは、空中から墜落する間は、血液が沸騰するので、十秒ぐらいで死ぬことが多いといわれる。ただ遺体が飛び散って悲惨な状況になるので、“さぞ苦しかったろう”と思うが、本人はそれほどではない。しかし、若いうちに事故死するのは困る。それに、事故死を期待して飛行機に乗るわけにもいかない。航空機による事故死は非常に少ないもので、餅がノドにつかえて死ぬのと同じぐらいの確率だといわれる。人間はふつうは餅がノドにつかえても死ぬものではなく、餅が入れ歯といっしょになってつかえた場合に、運が悪いと死ぬという状態なのである。
こうなると、多くの人はガンか心臓血管系の病気(心臓病や脳卒中など)で死ぬということになる。さきにも説明したように、ガンになったときには、早期発見か手おくれが生死の分かれ目で、勝負は早い。それに対して、心臓血管系の病気は長引く。死期の予測はつかない。一定のレベルを越えると、なおることはないが、そうかといって、すぐ死ぬかどうかはわからない。うまくいくと十年以上も生きることがある。
ガンは多分に運命的な要素がある。タバコを一本も吸わないのに肺ガンになる人もあるし、一日にピースを五十本も吸っていても八十五歳をすぎて元気な人もいる。特定のものを食べたからといって胃ガンになるとはいえないし、ガンに用心しているガン学者がガンになることも多い。将来、ガン医学が発達して、ガンの本体が明確になればともかく、いまのところは、ガンは交通事故と考えるほうが気楽である。ただ、早期発見の場合は助かる率が高いので、年に一度のチェックはさぼらずにやるべきである。
心臓血管系の病気にかかった場合、実際にはその程度によって、ある程度の寿命の予測は必ずしも不可能ではないが、どれだけ養生するかによって、生きる時間に差があるのは事実である。そこで、私たちが考えなければならないひとつのヒントは、たとえば、そういう状態になったときまだやり残していることが人生にあると思ったときには、医師の指示にしたがって養生しながら、やり残したことを全力をあげてやるべきだろう。あるいは、余生を孫たちとたのしみたいと思うのなら、やはり養生しなければならない。けれども、もうやるべきこともしたし、人生にそう思い残すこともない、療養生活を長くすれば、それだけ家内に残す遺産も減ると思うのなら、ひと思いに心筋梗塞で死ぬ道を選ぶのもいいだろう。心筋梗塞になりたいと思うのなら、脂の多いサーロインステーキを食べて、砂糖を多く摂取し、アルコールを飲み、タバコを吸えばいいわけである。要するに、医者がやってはいけないということをすべて実行すればいいわけである。これは“自殺行為”のように見えるかもしれないが、はっきりとした人生観に基づいているのなら、あるいは別の意味の生きがいかもしれない。