「諸井薫・選-永井荷風 - 諸井薫」早川文庫 私の選んだ文庫ベスト3 から

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「諸井薫・選-永井荷風 - 諸井薫」早川文庫 私の選んだ文庫ベスト3 から
 

荷風随筆集 上 日和下駄他16篇(岩波/野口冨士男編)
②摘録 断腸亭日乗 上・下(岩波/磯田光一編)
ふらんす物語(新潮)

大げさなようだが、私は〈散歩〉に対してある種の恐怖感を持っている。それというのも、自分が散歩をしている姿というのはとりも直さず失業もしくは隠退して、生き続ける意味をほとんど失った痛切な状況に他ならないからだ。自律的に生きることに慣れきった芸術家や学者には理解出来ないかも知れないが、サラリーマンには多かれ少なかれ、そういう傾きがあるのではないか。 
その私が荷風作品の中で、〈散歩文学〉とでも呼ぶぶき一連の随筆をとくに好むのは、荷風がまだ三十代の若さで、退隠者の悲傷に浸るしかない自分の運命を甘受し、まるで叡山の千日回峰の修行僧のように散歩の日課を自らに課してやめようとしないところだ。
荷風は『日和下駄』の中にこう書いている。「......私は別にこれといってなすべき義務も責任も何にもないいわば隠居同様の身の上である。その日その日を送るになりたけ世間に顔を出さず金も使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法を色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである。仏蘭西の小説を読むと零落[おちぶ]れた貴族の家に生れたものが、僅少[わずか]の遺産に自分の身だけはどうやらこうやら日常の衣食には事欠かぬ代り、浮世の楽[たのしみ]を余所[よそ]に人交[ひとまじわ]りもできず、一生涯を果敢[はか]なく淋しく無為無能に送るさまを描いたものが沢山ある」
欧米から帰朝した直後、荷風三十五歳の文章である。高級官僚から実業家の道を進んだ父君の期待空しく、学成らず、外国に出せば仕事に身を入れず、日本に呼び戻しても生業につこうとしない荷風は、ゲバケバしく変貌して風情を失っていく東京を嘆き、「仏蘭西の都会は何処へ行ってもどうしてあのように美しいのであろう。どうしてあのように軟く人の空想を刺激するのであろう」と、パリでの日々を懐かしみつつ、日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩き続け、それは生涯に及んだ。
私にとっては『断腸亭日乗』も『ふらんす物語』も男の痩せ我慢の散歩文学なのである。