3/3「寺じまの記 - 永井荷風」岩波文庫 荷風随筆集(上) から

f:id:nprtheeconomistworld:20200621082350j:plain


3/3「寺じまの記 - 永井荷風岩波文庫 荷風随筆集(上) から

呼ばれるがまま、わたくしは窓の傍らに立ち、勧められるがまま開戸[ひらきど]の中に這入[はい]って見た。
家一軒について窓は二ツ。出入[でいり]の戸も二ツある。女一人について窓と戸が一ツずつあるわけである。窓の戸はその内側が鏡になっていて、羽目の高い処に小さな縁起棚[えんぎだな]が設けてある。壁際につッた別の棚には化粧道具や絵葉書、人形などが置かれ、一輪ざしの花瓶[はないけ]には花がさしてある。わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花がさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。
上框[あがりかまち]の板の間に上ると、中仕切りの障子に、赤い布片[きれ]を紐のように細く切り、その先へ重りの鈴をつけた納簾のようなものが一面にさげてある。女はスリッパアを揃え直して、わたくしを迎え、納簾の紐を分けて二階へ案内する。わたくしは梯子段を上りかけた時、そっと奥の間をのぞいて見ると、箪笥、茶ぶ台、鏡台、長火鉢、三味線掛などの据置かれた様子。さほど貧苦の家とも見えず、またそれほど取散らされてもいない。二階は三畳の間が二間、四畳半が一間、それから八畳か十畳ほどの広い座敷には、寝台[ねだい]、椅子[いす]、卓子[テーブル]を据え、壁には壁紙、窓には窓掛、畳には敷物を敷き、天井の電燈にも装飾を施し、テーブルの上にはマッチ灰皿の外に、『スタア』という雑誌のよごれたのが一冊載せてあった。
女は下から黒塗の蓋のついた湯飲茶碗を持って来て、テーブルの上に置いた。わたくしはくわえていた巻煙草を灰皿に入れ、
「今日は見物に来たんだからね。お茶代だけでかんべんしてもらうよ。」といって祝儀[しゆうぎ]を出すと、女は、
「こんなに貰わなくッていいよ。お湯[ぶ]だけなら。」
「じゃ、こん度来る時まで預けて置こう。ここの家は何ていうんだ。」
「高山ッていうの。」
「町の名はやっぱり寺嶋町[てらじままち]か。」
「そう。七丁目だよ。一部に二部はみんな七丁目だよ。」
「何だい。一部だの二部だのッていうのは。何かちがう処があるのか。」
「同じさ。だけれどそういうのよ。改正道路の向へ行くと四部も五部もあるよ。」
「六部も七部もあるのか。」
「そんなにはない。」
「昼間は何をしている。」
「四時から店を張るよ。昼間は静かだから入らっしゃいよ。」
「休む日はないのか。」
「月に二度公休しるわ。」
「どこへ遊びに行く。浅草だろう。大抵。」
「そう。能[よ]く行くわ。だけれど、大抵近所の活動にするわ。同なじだもの。」
「お前、家[うち]は北海道じゃないか。」
「あら。どうして知ってなさる。小樽だ。」
「それはわかるよ。もう長くいるのか。」
「ここはこの春から。」
「じゃ、その前はどこにいた。」
「亀戸[かめいど]にいたんだけど、母[かア]さんが病気で、お金が入[い]るからね。こっちへ変った。」 
「どの位借りてるんだ。」
「千円で四年だよ。」
「これから四年かい。大変だな。」
「もう一人の人なんか、もっと長くいるよ。」
「そうか。」
下で呼鈴[よびりん]を鳴す音がしたので、わたくしは椅子を立ち、バスへ乗る近道をききながら下へ降りた。
外へ出ると、人の往来[ゆきき]は漸くしげくなり、チョイトチョイトの呼声も反響するように、路地の四方から聞えて来る。安全通路と高く掲げた灯の下に、人だかりがしているので、喧嘩かと思うと、そうではなかった。ヴィヨロンの音と共に、流行唄[はやりうた]が聞え出す。蜜豆屋[みつまめや]がガラス皿を窓へ運んでいる。茹玉子[ゆでたまご]林檎[りんご]バナナを手車に載せ、後[うしろ]から押してくるものもある。物売や車の通るところは、この別天地では目貫きの大通であるらしい。こういう処には、衝立[ついたて]のような板が立ててあって、さし向いの家の窓と窓とが、互に見えないようにしてある。
わたくしは路地を右へ曲ったり、左へ折れたり、ひや合[あ]いを抜けたり、軒の下をくぐったり、足の向くまま歩いて行く中[うち]、一度通った処へまた出たものと見えて、「あら、浮気者」「知ってますよ。さっきの旦那」などと言われた。忽ち真暗な広い道のほとりに出た。もと鉄道線路の敷地であったと見え、枕木を堀除いた跡があって、ところどころに水が溜っている。両側とも板塀が立っていて、その後の人家はやはり同じような路地の世界をつくっているものらしい。
線路址[あと]の空地が真直に闇をなした彼方のはずれには、往復する自動車の灯が見えた。わたくしは先刻[さつき]茶を飲んだ家の女に教えられた改正道路というのを思返して、板塀に沿うて其方[そちら]へ行ってみると、近年東京の町端[まちはず]れのいずこにも開かれている広い一直線の道路が走っていて、その片側に並んだ夜店の納簾と人通りとで、歩道は歩きにくいほど賑かである。沿道の商店からは蓄音機やラヂオの声のみならず、開店広告の笛太鼓も聞える。盛に油の臭気を放っている屋台店の後には、円タクが列をなして帰りの客を待っている。
ふと見れば、乗合自動車が駐[とま]る知らせの柱も立っているので、わたくしは紫色の灯をつけた車の来るのを待って、それに乗ると、来る人はあってもまだ帰る人の少い時間と見えて、人はひとりも乗っていない。何処まで行くのかと車掌にきくと、雷門を過ぎ、谷中へまわって上野へ出るのだという。
道の真中に突然赤い灯が輝き出して、乗合自動車が駐ったので、其方を見ると、二、三輛連続した電車が行手の道を横断して行くのである。踏切を越えて、町は俄[にわか]に暗くなった時、車掌が「曳舟[ひきふね]通り」と声をかけたねで、わたくしは土地の名のなつかしさに、窓硝子に額を押付けて見たが、木も水も何も見えない中に、早くも市営電車向嶋の終点を通り過ぎた。それから先は電車と前後してやがて吾妻橋をわたる。河向[かわむこう]に聳えた松屋の屋根の時計を見ると、丁度九時......。

昭和十一年四月