「好色と退屈(一部抜書) - 丸谷才一」集英社文庫 別れの挨拶 から

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「好色と退屈(一部抜書) - 丸谷才一集英社文庫 別れの挨拶 から

ここで私の言ふ随筆体小説とは、たとへば永井荷風『雨瀟瀟』『花火』のやうな、随筆と小説の中間のもの、あるいは随筆を装ふ小説、さらには小説めかした随筆を指す。こんな言ひ方はずいぶん漠然としてゐるが、このくらゐ広く網を打たないと押へられない相手だから仕方がない。それは作者本人ないしはそれに準ずる者の一人称による語りをもつて、随筆、紀行、日記、評論などを模したりあるいはそれらに近づいたりしながら、小説仕立てのものを作らうとする仕組であつた。この作風をうんと大がかりにしたものとして荷風の『墨東綺譚』があるわけで、それだけでも随筆体小説は重要な位置を占めるが、ほかにもたとへば谷崎潤一郎芥川龍之介佐藤春夫石川淳太宰治などにもこの手の作品があるし、さらには中村真一郎『雲のゆき来』、吉行淳之介『暗室』などもこの系譜に属すると見てよかろう。随筆体小説は近代日本文学において無視することのできない一系列を形づくつてゐる。
それにしても気になるのは、あの博識な、そして外国人名や作品名を引き合ひに出すことをいささかも辞さない、むしろそれに淫してゐるとも言へる鴎外が、この一形式の発端となる「追?」において、同じ趣向の西洋の作に触れてゐないことである。バルザックスタンダールも、随筆体小説との関連で出て来るのではなかつた。そのあとストリンドベリの戯曲『死人の踊』が言及されるが、これは、自分にものを書けと言ふのは死人に踊れと命じるやうなものといふ単純な比喩で、またしても例の、原稿が書きたくない気持のあらはれであり、随筆体小説とはかかはりがない。そしてそのあと突然、築地の新喜楽へ行つた話になり、ここで見た、女将である老婆が豆まきをする情景が語られる。その短い描写は息を呑むしかないほど見事なものたけれど、これは軽く一礼して置けばそれでよかろう。それに次いでニーチェの名前が出て来るが、これも随筆体小説とは関係がない線で顔を出すもの。つまり鴎外はすくなくともこのとき、「追?」の筆法の直接の先輩は誰であるかを思ひ浮べることができずにこれを書いてゐる。何とか枚数をふやしたくて仕方がないのだから、思ひ当る先例があつたら、きつと書きつけてゐたはずなのに。
鴎外の代りに探し物をするやうで何だが、ここに一つ思ひ出されるのは英米人がスケッチと呼ぶ形式だらう。アーヴィングの『スケッチ・ブック』(一八一九-二〇)所収のもののうち、『リップ・ヴァン・ウィンクル』の話ではなく、イギリスの風景と風俗を描いたスケッチのほう。それからツルゲーネフの『猟人日記(A Sports man’s Sketches)』(一八五二)の諸篇。おぼろげな記憶を頼りに言ふのだが、両者いづれも、小説とは本来どういふものかといふ意識が明確にあつて、それに遠慮して、それゆゑスケッチと名づけなれてゐる気配だつた。あれはわが随筆体小説の、小説の標準型にこだはらない態度とはむしろ反対のもので、その分だけ本格の小説に近づいてゐる。鴎外がアーヴィングやツルゲーネフに言及しなかつたのは、このせいかもしれない。さらにもう一つ、鴎外が日ごろから抱懐してゐて、いまそれが噴出して来たのは十九世紀的小説作法への疑念であつたのに、ところがツルゲーネフやアーヴィングの書き方は新しいものではちつともなかつたから、その名は思ひ出されないといふことも考へられよう。
それとは別に検討を要するものがある。鴎外にとつてはともかく荷風にとつて大切な、ローデンバックの『死の都ブリュージュ』(一八九二)といふ中篇小説があつた。これについては荷風が明治四十四年の長崎紀行で触れてゐるが、この世紀末の名作は彼を随筆体小説へと導く大きな一因となったと推定される。ローデンバックがおこなつた、地誌を小説に応用する方法は、荷風の『すみだ川』から『墨東綺譚』へと至る展開に寄り添ふもので、すなはち彼は地霊(genius loci)によつて小説を祝福する方法をローデンバックに学んだらしい(あるいはすくなくともこの先輩の方法によつて力づけられたらしい)が、もともと紀行と随筆とは隣合つてゐる。事実、荷風は島原の旅行についてかう記したのだつた。

ああ。古びた家、木綿の窓掛、果樹の茂り、芝生の花、籠のアウム[難漢字]、愛らしい小犬、そしてランプの光、?きざる物思ひ......。(中略)そして悲しいロオダンバックのやうに唯だ余念もなく、書斎の家具と、寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るる堀割の水とばかりを歌ひ得るやうになりたい。

もちろんローデンバックの作風は荷風のそれにくらべて遥かに小説性が強く、人間関係もあつかひ方が劇的で、それが随筆的側面にも、紀行的側面にも、?情にも、感傷にも、濃い陰翳[いんえい]を与へてゐる。しかしさういふ彼我の相異はともかく、わが随筆体小説の出自はおほよそこのあたりにあつた。おそらく荷風は、彼の随筆体小説の筆法をローデンバックの刺戟なよつて身につけ、そしてこれを鴎外の言によつてよしとしたのではないか。