(巻二十六)常識にこだはらないで残る鴨(高橋将夫)

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(巻二十六)常識にこだはらないで残る鴨(高橋将夫)

7月5日日曜日

散歩と買い物:

午前中の雨が降りだす前に出かけた。投票所への道は往来が多い。

上の階の明るい爺さんも奥さんとそちらへ向かっていた。奥さんが爺さんの後ろを静々と付いていく。

本日三千三百歩階段二回でした。

朝日俳壇:

欲といふ欲を捨てゐて風涼し(高橋とも子)

梅漬けて百まで生きるつもりかな(徳永スキ子)

に細君の○がついていた。

私は

草を引くにぎやかな妻居りにけり(笹尾茂章)

を書き留めた。

“にぎやか”ということはないが、少なくとも夫婦間会話は継続している。今日はバスなどの高齢者割引パスのことが話題になった。細君は恩恵が受けられて喜んでいるが、私の場合は割引率が悪い。一週間に5回乗車(2往復半)以上が分岐点だが、それほど頻繁にバスに乗ることはなだろう。

「お父さんのは止めときましょう」と決まった。

メメント モリ:

鉢植えのミカンの実が一つコンクリートの床に落ちていた。付いている実が全部が完熟するとは思っていないが、まだ小さいのに落ちてしまった。

『 「臨終徒然草 - 山田風太郎ちくま文庫 半身棺桶 から』

 

《多くの人の死を見て思うことの一つは、人間の死には、早過ぎる死か、遅過ぎる死しかない、ということである。主観的にも客観的にも、早過ぎず、遅過ぎず、ピタリといいところで死んだ人があれば、それも幸福な死だろう。

しかし、そんな死はまずない。死ぬ当人は、何歳になっても早過ぎるように思うらしい。》

今であったとしても早過ぎるとは思わない。だが面倒なのは勘弁して欲しい。ミカンのようにコロンと参りたい。

願い事-コロンと叶えてください。