2/3「敗荷落日 - 石川淳」岩波文庫 荷風追想 から

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2/3「敗荷落日 - 石川淳岩波文庫 荷風追想 から

しかるに、わたしが遠くから観測するところ、戦後の荷風はどうやら書を読むことを廃している。もとの偏奇館に蔵した書目はなになにであったか知らないが、その蔵書を焼かれたのち、荷風がふたたび本をあつめようとした形迹[けいせき]は見えない。戦後ほどなく諸家の蔵書放出ということがあって、あちこちから古刊本古写本のかくれていたものがながれ出して来て、市場に一時のにぎわいを呈したおりにも、荷風がなにか買ったといううわさはついぞ聞かなかった。それよりすこしののち、フランスの本のことでいえば、パリの新刊書が堰を切ってどっと押し寄せて来たころ、荷風はたしか座談の中で「ちかごろは向うの本が来ないので読まない」という意味のことをしゃべっていた。来ないどころか、来すぎていたくらいである。サルトルカミュ、エリュアール、ミシォン、メルロー・ポンティなんぞの著作は、すくなくともそれが輸入された当時には、荷風はおそらく読んでいない。まちがう危険をかえりみずにいえば、それがどれほどの本であったか。どこにでもざらにころがっているような古本ではなかったのか。念のためにことわっておくが、わたしはひとが本を読まないことをいくないなんぞといっているのではない。反対に、荷風が書を廃したけはいを遠望したとき、わたしはひいき目の買いかぶりに、これは一段と役者があがったと錯覚しかけた。古書にも新刊にも、本がどうした。そんなものが何だ。くそを食らえ。こういう見識には、わたしも賛成しないことはない。ただし、そのくそを食らえというところから、別の方向に運動をおこして行くのでなければ、せっかくのタンカのきりばえがしないだろう。わたしはひそかに小説家荷風において晩年またあらたなる運動のはじまるべきことを待った。どうも、わたしは待ちぼうけを食わされたようである。小説といおうにも、随筆といおうにも、荷風晩年の愚にもつかぬ断章には、ついに何の著眼[ちやくがん]も光らない。事実として、老来ようやく書に倦んだということは、精神がことばから解放されたということではなくて、単に随筆家荷風の怠惰と見るほかないだろう。
本のことはともかく、随筆家のもう一つの条件、食うにこまらぬという保証のほうは、荷風は終生これをうしなわず、またうしなうまいとすることに勤勉のようであった。ところでこの保証とはなにか。生活上避けがたい出費にいつでも応ずることができるだけの元金。それを保有するということになるだろう。すなわち、rentier(金利生活者)の生活である。財産の利子で食う。戦前の荷風は幸運なランティエであった。このひとにとって、むかしのパリというものはたしかに気に入った世界であったにちがいない。今は知らず、昔のパリの市民は、勤労者の小市民ならばなおさら、その生活上の夢をおしなべてランティエたることに懸けていたように見える。荷風アンリ・ド・レニエの書いた物語を好んでいるが、このレニエの著作こそ、すべてランティエの、もしくはそうなることを念願し憧憬する小市民の、ささやかな哀愁趣味をゆすぶってくれるような小ぎれいな読物であった。ランティエの人生に処する態度は、その基本において、元金には手をつけないという監戒からはじまる。一定の利子の効力に依ってまかなわれるべき生活。元金がへこまないかぎり、ランティエの身柄は生活のワクの中で一応安全であり、行動はまたそこに一応は自由であり、ワクの外にむかってする発言はときに気のきいた批評すらありえた。ランティエの、いや、荷風の倫理上の自慢はただ一つ。金銭上他人に迷惑はかけない。ということは、自分が他人から金銭上の迷惑をこうむることをいかに恐怖していたかという事情を告げるにひとしいものだろう。もしかすると、他人の所有をおびやかさないような迷惑ならば、もしそれがあったとしても、決して恐怖に値するほどの迷惑ではないという見識なのかも知れない。戦中の荷風は堅く自分の生活のワクを守ることに依って、すなわちランティエの本分をつらぬくことにおいて、よく荷風なりに抵抗の姿勢をとりつづけることができた。ランティエ荷風の生活上の抵抗は、他の何の役にも立たなかったにせよ、少くとも荷風文学をして災禍の時間に堪えさせ、これを戦後に発現させるためには十分な効果を示している。精神もまたどこかの金庫の中につつがなく、財産とともに保管されて、そこに他人の手がふれることを拒否していたふぜいである。わるくない成行であった。しかし、時は移って、戦後の世の中になると......