3/3「敗荷落日 - 石川淳」岩波文庫 荷風追想 から

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3/3「敗荷落日 - 石川淳岩波文庫 荷風追想 から

戦前の大金は戦後の小銭、むかしの逸民は今の窮民である。ぶらぶらあそんでくらす横町の隠居というものを、今日に考えることができるだろうか。ランティエということばは観念上にもすでにほろびて、そのことばに該当するような人間はもはや実在しえない。事態は明瞭である。一生がかりの退職金でも老後は食えないという市井の事実は、個人生活における元金の魔の失権を告げている。しかし、今日の小市民の中にも、なおむかしとおなじく、ランティエの夢は懐古的にのこっているかも知れない。ただむかしとちがって、今日の小市民はそれがついに実現すべからざる夢だということを、そして食うにこまらない明日の、いや、昨日の夢に足をさらわれては今日たちどころに食うにこまるということを、痛切におもい知っているだろう。小市民というものは存外ぬけめのないやつらなのだから、よっぽど足腰の立たない律儀者でなかぎり、あらゆる念願にも係らず、自分の人生観を自分で信ずるなんぞというドジは踏まない。自分の人生観。いや、人生観は出来合の見本がずらりとならんでいる中から、当人の都合に依って、任意に取捨したほうが便利にきまっている。その見本の山の底に、とうに無効になったランティエの夢がうっかりまぎれこんでいたとしても、たれも手を出すはずがない。これは戦争という歴史の断絶が市井に吹きこんだ生活上の智慧だろう。このとき、市井の片隅にあって、荷風がいつも手からはなさなかったというボストンバッグとは、いったいなにか。
ひとの語るところに依れば、荷風はこの有名なボストンバッグに秘めたものをみずから「守本尊」といっていたそうである。そのごとくならば、これは死んでも手をつけてはならぬものにちがいない。もしボストンバッグの中に詰めこんだものがすでにほろびた小市民の人生観であったとすれば、戦後の荷風はまさに窮民ということになるだろう。「守本尊」は枕もとに置いたまま、当人は古畳の上にもだえながら死ぬ。陋巷の窮死。預金通帳の数字の魔に今日どれほどの実力があろうと無かろうと、窮死であることには変りがない。当人の宿願が叶ったというか。じつは、このような死に方こそ、荷風がもっとも恐怖していたものではなかったか。しかし、すべてこういう心配は週刊雑誌の商売にまかせておけばよいことだろう。われわれが問うのは数字の実力でもなく、また死体の姿勢でもない。
態度として、「守本尊」の塁に拠るところの荷風というものは、前後を通じて一貫したもののようである。戦中には、この態度をもって、荷風がよく自分の身柄を守り、文学を守り、またしたがって精神を守ったことはすでに見えている。しかし、このおなじ態度をもって、晩年の荷風はなにを守ったか、なにを守るつもりであったか、目に見えない。いや、目に見えるかぎりでは意味が無い。ひとはこれを奇人という。しかし、この謂うところの奇人が晩年に書いた断片には、何の奇なるものを見ない。ただ愚なるものを見るのみである。怠惰な小市民がそこに居すわって、うごくけはいが無い。まだ八十歳にみたぬ若さにしては、早老であった。怠惰な文学というものがあるだろうか。当人の身柄よりも早く、なげくべし、荷風文学は死滅したようである。また、うごかない精神というものがあるだろうか。当人の死体よりもさきに、あわれむべし、精神は硬直したようである。晩年の荷風はどうもオシャレでない。歯が抜けたらば、これを写真にうつして見せるまえに、さっさと歯医者に行くべし。その歯の抜けた口で「郭沫若[かくまつじやく]は神田の書生」とうすっぺらな放言をするよりも、金石学の権威である郭さんの文集をだまって読んでいたほうが立派だろう。また胃潰瘍というならば、行くさきは駅前のカツドン屋ではなくて、まさに病院のベッドの上ときまっている。これを常識というか。非ず。わたしは変り身の妙のことをいっている。暮春すでに春服とは、こういう気合のものである。この変り身というものが、晩年の荷風にはさっぱりうかがわれない。精神の柔軟性をうしなったしるしだろう。もしかすると、荷風の精神は戦争に依る断絶の時間を突っ切るには堪えなかったのかも知れない。かくのごとくにして、明治以来の、系譜的には江戸以来の、随筆の家はがっくりつぶれた。これも、もしかすると、和朝流の随筆というものは今日の文学の場に運動するに適格でないのかも知れない。
むかし、荷風散人が妾宅に配置した孤独はまさにそこから運動をおこすべき性質のものであった。これを芸術家の孤独という。はるかに年をえて、とうに運動がおわったあとに、市川の僑居[きようきよ]にのこった老人のひとりぐらしには、芸術的な意味は無い。したがって、その最期にはなにも悲劇的な事件は無い。今日なおわたしの目中にあるのは、かつて「妾宅」、「日和下駄」、「下谷叢話」、「葛飾土産」なんぞにおける荷風散人の運動である。日はすでに落ちた。もはや太陽のエネルギーと縁が切れたところの、一箇の怠惰な老人の末路のごときには、わたしは一灯をささげるゆかりも無い。