(巻二十六)双六の賽振り奥の細道へ(水原秋桜子)

f:id:nprtheeconomistworld:20200716081026j:plain

(巻二十六)双六の賽振り奥の細道へ(水原秋桜子)

7月15日水曜日

ぐずついた天気ではあったが、散歩と買い物に出かけた。

先ずは予約しておいた図書『エッセイの贈り物4-岩波書店編集部編』を受け取る。

その後図書館→曳舟川→旧水戸佐倉街道→環七→二丁目桜通り→リハビリ病院→生協と歩いた。これをBコースと致そう。

本日四千六百歩、階段二回でした。

家事:

ラタトゥユという料理を教わった。夏野菜の煮物である。

我が家の今夜の材料は、ナス、ズッキーニ、ピーマンとトマトだけであるが、何を入れてもよいようだ。

中鍋に油を敷きナスを炒め、ズッキーニとピーマンを加えよく炒める。炒めたらトマトを加え馴染ませる。

トマトが馴染んだら水を加えて煮る。水の量は野菜が焦げ付かない程度である。

沸騰したら塩少々、それから15分煮る。最後に塩と胡椒で味見してお仕舞いである。

ゆで豚の付け合わせに頂いたが、味付けがほとんどないだけに野菜の味がそのままで旨かった。

茄子馬の一肢蹴上げて納まらず(川辺了)

本日借り受けた図書も随筆集である。 『エッセイの贈り物4-岩波書店編集部編』で“4”とあるから少なくとも他に三冊はこのシリーズがあるのだろう。

この“4”には私が存知上げない先生方を含め四十二人の著名人の作品が採録されている。

夜、一通り捲った。この本には蘊蓄随筆が多い。私は蘊蓄随筆は余り好きではない。

「四十二本あるけど、これに限らず随筆集でコチコチしたくなるのはそのうちの四、五本だなあ。」と細君に嘆く。

「料理の本だって同じよ。レシピが100載っていたって、作ってみたくなるのは三つ、四つよ。」

とのご返事であった。

夏浅し風のめくりし料理本(津川絵理子)

読書:

《市外荏原郡世田ケ谷町に満行寺[まんぎようじ]という小さな寺がある。その寺に、今から三、四代前とやらの住職が寂滅[じやくめつ]の際、わしが死んでも五十年たった後でなくては、この文庫は開けてはならない、と遺言したとか言伝えられた堅固な姫路革[ひめじがわ]の篋[はこ]があった。

大正某年の某月が丁度その五十年になったので、その時の住持[じゆうじ]は錠前を打破[うちこわ]して篋をあけて見た。すると中には何やら細字[さいじ]でしたためた文書が一通収められてあって、次のようなことがかいてあったそうである。

愚僧儀一生涯の行状、懺悔のためその大略を此[ここ]に認[したた]め置候もの也。

愚僧儀はもと西国丸円[まるまる]藩の御家臣深沢重右衛門と申[もうし]候者の次男にて有之[これあり]候。

不束[ふつつか]ながら行末は儒者とも相なり家名を揚げたき心願にて有之候処、十五歳の春、父上は殿様御帰国の砌[みぎり]御供廻[おともまわり]仰付[おおせつ]けられそのまま御国詰[おくにづめ]になされ候に依り、愚僧は芝山内[しばさんない]青樹院と申す学寮の住職雲石殿、年来父上とは昵懇の間柄にて有之候まま、右の学寮に寄宿仕[つかまつ]り、従前通り江戸御屋敷御抱[おかかえ]の儒者松下先生につきて朱子学出精罷在[まかりあり]候間、月日たつにつれ自然出家の念願起り来り、十七歳の春剃髪致し、宗学修業専念に心懸[こころがけ]候間、寮主雲石殿も末頼母[たのも]しき者と思召[おぼしめ]され、殊の外深切[しんせつ]に御指南なし下され候処、やがて愚僧二十歳に相なり候頃より、ふと同僚の学僧に誘はれ、品川宿の妓楼[ぎろう]に遊び仏戒[ぶつかい]を破り候てより、とかく邪念に妨げられ、経文修業も追々おろそかに相なり、果は唯うかうかとのみ月日を送り申候。》

で始まる、

「榎[えのき]物語 - 永井荷風岩波文庫

をコチコチし始めた。15頁ほどの作品であります。サスペンスの連続でございます。

願い事-叶えてください。