「三人の人類 - 藤原智美」光村図書 ベスト・エッセイ2010 から

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「三人の人類 - 藤原智美」光村図書 ベスト・エッセイ2010 から

「足跡」と書いてアシアトと読めば、廊下の濡れた足形や、犯罪の捜査活動に使う靴跡のように、そのイメージは具体的である。しかしソクセキと読むと、がぜん言葉が深い広がりをもってくる。人生、文化、民族とスケールも大きくなる。だから、ぬかるんだ地面に偶然ついた足跡を「これは私のソクセキだ」などということはない。

一九六九年、月面に残した自分のアシアトを「人類にとって大きな飛躍」といった宇宙飛行士の言葉が、私には白けて聞こえてしまったのは、そのせいかもしれない。アシアトをソクセキに勝手に格上げしたような気がしたのだ。それは歴史の判断に任せるべきだった。
そんなことを考えたのは、まさにソクセキといえるアシアトに出会ったからだ。三百六〇万年前に残された人類の足跡である。人類学者、真家和生さんの研究室には、タンザニア北部のラエトリで発見された、アウストラロピテクス・アファレンシスという初期人類の足跡が保存されている。
レプリカだが、地表からそっくり引きはがしたように精巧にできている。地面をかたどったボードの上には、十個ほどの足形が二筋になって平行にのびていた。現地で発見された足跡は全部で五四。これはその一部だ。
一九七八年の大発見は人類学の論争に終止符を打った。この人類にはチンパンジーと同じ大きさの脳しかない。顔かたちは私たちよりもチンパンジーに近い。石器さえ知らない存在ながら、彼らはなんと立って歩いていたのだ。猿よりも脳が大きくなり、それを支えるために立ち上がった動物が人類、という説は完全にくつがえされたのである。
しかしこの足跡は、あらたな論争を生んでいる。当初、それは大柄な人類とそれより小さな人類、二人の足跡だと見られていた。大柄といっても足跡から推測するに一五〇センチほどで、小柄なほうは一二〇センチ程度である。初期の想像図は、先頭を行く男の少し後を赤ん坊を抱えた女が歩いているというものだった。
ところが、くわしく観察するとそれは三人であることがわかってきた。大柄なほうの足跡のなかに、もうひとつ別の小さな足跡が点々と見つかったのだ。こちらは推定一四〇センチほど。前を行くヒトの足跡をなぞりながら歩くという行動は人間的であり、猿ではない。つまり、それぞれ身長の異なる三人がいっしょに歩いていたということになる。
彼らはどんなグループだったのか?さまざまな説がある。あなたはどう推理するだろうか。
近くに噴火する火山があった。地面はぬかるんだ火山灰で覆われていた。スコールがやんだばかりで、地表には雨粒の跡まも残っている。そこに通りかかったのが三人である。彼らが通り過ぎた一、二時間あとに大きな噴火が起こり、新しい灰が彼らの足跡を三六〇万年間保存することになる。
まずこのグループが、家族であったろうと推測するのが順当である。二足歩行する人類は、骨盤の形が四足歩行の動物より出産に不向きになる。よって他の動物より胎児が未熟なうちに産み落とし、つきっきりで長い間育てなくてはならない。それには育児、狩りという分業が必要で、現代のような核家族に近いものを形成することになる。
三人が家族とすれば話は早い。先頭を父親、そして少し後を母親、さらに子供が父親の足跡をなぞりながら後につく。これでおさまりがつく。
しかし真家さんは違った見方をする。同時期にヌーに似た動物の大群が通った足跡も前方に発見されている。父親は狩りが使命だ。先に獲物を追いかけて三人の家族をおいていったのではないか。
とすると、残されたのは母親と二人の子供。彼らの足跡ではないかというのだ。さらに二筋の足跡の歩幅は同じである。彼らは歩調を合わせて歩いた。身長とその歩幅から類推すると急ぎ足である。しかも二筋の足跡の間は狭い。一〇、二〇センチたらずしかない。きっと母親は、わが子を抱きしめるようにくっつきあって進んでいたにちがいない。その後を上の子が母親の足跡をなぞりながら進む。むろん証拠立てるものはない。答えは永遠に出ないだろう。
しかし私は、この説を耳にしたとき腑に落ちるものがあった。火山はふたたび今にも噴火しそうな勢いである。もくもくと煙を吹き上げていただろう。しかも見晴しのいい平原は危険地帯だ。凶暴な肉食獣もいたにちがいない。自然は彼らにとって脅威そのものだった。
三六〇万年前の平原を、おそるおそる行くこの三人を結びつけていた感情は、ひとことでいえば「怯[おび]え」ではなかったか。彼らは身を寄せ合いながら生き抜いていくほかなかった。いつなんどき災害に、肉食獣に、病に倒れるか分からなかったのだ。
昨今、家族のもろさが指摘されるが、その一因には「怯え」の喪失があるのかもしれない、と私は思う。「怯え」が個々の内部にとどまり、家族として共有されなくなったとき、その絆はもろい。
はたしてラエトリの家族は、その後どう生きのびたのだろうか?