3/4「榎[えのき]物語 - 永井荷風」岩波文庫

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3/4「榎[えのき]物語 - 永井荷風岩波文庫

しかしながら始めより国許へ立帰り候所存とては無之事[これなきこと]に候間、東海道を小田原まで参り、そのまま御城下に数日滞在の上、豆州[ずしゆう]の湯治場を遊び廻り、大山へ参詣いたし、それより甲州路へ出て、江戸へ立戻らむと志し候途中、図らず道づれに相なり候は、これ即ち当山満行寺[とうざんまんぎようじ]先代の住職了善上人殿[りようぜんじようにんどの]にて御座候。殊の外愚僧を愛せられ、是非とも満行寺に立寄れと御勧めなされ候により、そのまま御厄介に相なり候処、当山は申すまでもなく西本願寺派丸円寺の分れにて、肉食[にくじき]妻帯の宗門なり。了善上人には御連合[おつれあい]も先年寂滅[じやくめつ]なされ、娘御お一人御座候のみにて、法嗣[ほうし]に立つべく男子なく、遂に愚僧を婿養子になされたき由申出され候中[うち]、急病にて遷化[せんげ]遊ばされ候。尤[もつと]もこれは愚僧当山の厄介に相なり候てより三年の後にて、愚僧は御遺言に基き当山八代目の住職に相なり候次第にて有之候。これより先、愚僧はかの百両の大金、豆州[ずしゆう]の湯治場を遊び廻り候ても、僅[わずか]拾両とは使い申さず。殆[ほとんど]そのまま所持致をり候事故、当山の御厄介に相なり候に付いては、またもやその隠場所に困りをり候処、唯今にても当寺表惣門の旁[かたわら]に立ちをり候榎[えのき]の大木に目をつけ、夜中[やちゆう]ヨジ[難漢字]上[のぼ]り、幹の穴に隠し置き申候。さて先代御成仏の後は愚僧住職の身に御座候へば、他出他行[たしゆつたぎよう]も自由気儘に相なり候故、夜中再び人知れずかの大木にヨジ[難漢字]上り、九拾両の中四拾両ほど取出し、残り五拾両はそのまま旧[もと]の通り幹の穴に隠し、右の四拾両を以て、一時妾を囲ひ、淫楽に耽りをり候処、その妾も数年にして病死致し、続いて先代住職の形見なる梵妻[ぼんさい]もとかく病身の処これまた世を去り申候。その時は愚僧もいつか年四十を越し、檀家中の評判も至極宜しく、近郷の百姓供[ども]一同愚僧が事を名僧知識のやうに敬ひ尊び候やうに相なりをり候。何事も知らぬが仏とは誠にこの事なるべく候。それにつけても月日経ち候につけ、先年溜池にて愚僧が手にかかり相果て候かの得念が事、また百両の財布取落し候侍の事も、その後は如何[いかが]相なり候哉[や]と、折々夢にも見申候間、所用にて江戸表へ参り候節はそれとなく心を付けをり候へども、一向にこれと申すほどの風聞も無之模様にて、更に様子相知れ申さず候故、次第に安心も致すやう相なり候事に御座候。なほまた愚僧が先年寄宿罷[まかり]あり候芝山内青樹院の様子につきては、その後聞き及び候処によれば、愚僧突然行衛[ゆくえ]不明に相なり候に付き、その節学寮にては、心あたり漏れなく問合せ候ても一向に相知れ申さず候につき、殺され候歟[か]、または神隠しにでも遇[あ]ひ候歟、いずれにも致せ、不憫の事なりとて、雲石師は愚僧が出奔[しゅっぽん]の日を命日と相定め、寮内に墓まで御建てなされ候趣に御座候。
さて、愚僧は右の如く僅一、二年の間に妻妾[さいしよう]両人共喪[うしな]ひ申候に付き、またもや妾を囲ひたきものと心には思ひをり候ものの、早や分別盛[ふんべつざかり]の年輩に相なり候ては、何となく檀家を始め人の噂も気にかかり候て、血気の時のやうに思切った事も出来兼ね、唯折もあらばと、時節をのみ待ち暮し申候。時々は遠からぬ新宿へなりと人知れず遊びに出掛けたき心持にも相なり候へども、これまた同様にて埒[らち]明き申さず。空しく門前の大木を打仰ぎ候て、幹の穴に五拾両有之候上は、時節到来の砌[みぎり]は、如何なる浮世の楽しみも思ひのままなる身の上。別に急ぎ候には及ばぬ事と我慢致し月日を送り申候。人間の慾は可笑[おか]しきものにて、いつにても思ひのままになると安心致をり候時は、案外我慢の出来るものにて有之候。唯心にかかり候事は、風雨雷鳴の時にて、門前の大木万一風にて打折らるるか、または落雷に砕かれ候て隠置候大金、木の葉の如く地上に墜ち来り候やうの事有之候ては一大事なりと、天気宜しからざる折には夜中にも時折起出で、書院の窓を明け、大木の梢を眺め候事も度々にて有之候。とかくする中、数れば今より十余年ほど前の事に相なり候。彼岸も過ぎて、野も山も花盛りに相なり候頃、白昼俄に風雨吹起り、近村へ落雷十余箇処にも及び候事有之。当山門内の大榎は、幸にも無事にて有之候ひしかど、その後両三日は引続き空曇りて晴れ申さず。またまた嵐来り申すべくなど人々申をり候を聞き、愚僧心痛一方ならず。深夜そつと起き出て、大金を取出し置かむものと、大木の幹に登りかけ候処、血気の頃には猿[ましら]の如くするするとヨジ[難漢字]昇り候その樹[き]の幹には変りはなけれども、既に初老を過ぎ候身は、いつか手足思ひのままならず、二、三間[げん]登り候処にて片足を滑らせ、そのまま瞠[どう]とばかり地上に堕ち申候。静なる夜にて有之候はば、この物音に人々起出で参り大騒ぎにも相なるべきの処、幸にも風大分烈[はげ]しく吹[ふき]いで候折とて、誰一人心付き候者も無之。愚僧は地上に落ち候まま、殆ど気絶も致さむばかりにて、漸[ようや]く起直[おきなお]り候ものの、烈しく腰を打ち、その上片足を挫[くじ]き、四ツ這になりて人知れず寝所へ戻り候仕末。その夜は医者を呼び迎へ候事も叶ひ申さず。翌朝に至るを待ち始[はじめ]て療治を受け申候。それより時候の変目[かわりめ]ごとに打身に相悩み候やうに相なり、最早や二度とはかの大木には登れさうにもなき身と相なり申候。左候得者[さそうらえば]、樹上の大金は再び手にすることも出来兼[かね]候訳なり。人に頼めばわが身のむかしを怪しまるる虞[おそれ]有之。かの五拾両は樹上に有之候とも、最早やわが身には生涯何のやくにも立たざる物になり候よと思へば、満身の気力一時に抜落ち候やうなる心地致され、唯惘然[ぼうぜん]として榎の梢を眺め暮すばかりにて有之候。今までは一向気にも留めざりし鴉の鳴声も、かの大木の梢に聞付け候時は、和尚奴[おしようめ]、ざま見ろ。いい気味だと嘲弄[ちようろう]致すもののやうに聞きなされ、秋蝉の鳴きしきる声は、惜しよ惜しよ。御愁傷[ごしゆうしよう]といふように聞え候て、物寂しき心地致され申候。雨あがりの三日月、夕焼雲の棚曳[たなび]くさまも彼の大木の梢に打眺め候へば誠に諸行無常の思ひに打たれ申候。