(巻二十六)道なりといふはあいまい秋の暮(佐藤博美)

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(巻二十六)道なりといふはあいまい秋の暮(佐藤博美)

7月23日木曜日

家事

洗濯を済ませ、古新聞紙を整理して袋に詰めた。新聞はたたんで袋に詰めて集積場へ運ぶだけで私は読まない。
着古したパジャマを裁断して掃除用の概ね10センチ角の端切れを作った。この端切れはガラス戸、網戸のスライド溝の砂ボコりの掃除やガス台の汚れ拭き、浴室排水口の蓋の湯垢のこそぎおとしに重宝する。
パジャマは割りの合わない衣類だ。パンツ、シャツは7セットで回しているがパジャマは2セットだから一日おきに使われて洗濯される。仕事は夜だけとは言え寿命は短い。

散歩

雨天につき散歩は致さず。昼寝と読書で過ごした。
階段は一回だけでした。

世事

なるだけ世事は聞きたくないのだが、細君が京都の事件を伝えに来た。

私は『墨汁一滴』を思い出した。

年を経て君し帰らば山陰[やまかげ]のわがおくつきに草むしをらん(正岡子規)

願い事-叶えてください。そのときは子規に同情した閻魔さまのように私も楽にしてください。

 https://www.bbc.co.uk/programmes/p048qwnx
 
The Why factor

Assisted Death
 
Is it ever right to take a life? Mike Williams explores the ethical dilemmas of assisted death.
 

「墨汁一滴 - 正岡子規」文春文庫 教科書でおぼえた名文 から

人の希望は初め漠然として大きく後[のち]漸[ようや]く小さく確実になるならひなり。我病床に於ける希望は初めより極めて小さく、遠く歩行[ある]き得ずともよし、庭の内だに歩行き得ばといひしは四五年前の事なり。其[その]後一二年を経て、歩行き得ずとも立つ事を得ば嬉しからん、と思ひしだに余りに小さき望[のぞみ]かなと人にも言ひて笑ひしが一昨年[おととし]の夏よりは、立つ事は望まず坐[すわ]るばかりは病の神も許されたきものぞ、などかこつ程[ほど]になりぬ。しかも希望の縮小は猶[なお]ここに止まらず。坐る事はともあれせめては一時間なりとも苦痛無く安らかに臥し得ば如何に嬉しからんとはきのふ今日の我希望なり。小さき望かな。最早[もはや]我望もこの上は小さくなり得ぬ程の極度にまで達したり。此[この]次の時期は希望の零[ぜろ]となる時期なり。希望の零となる時期、釈迦はこれを涅槃[ねはん]といひ耶蘇[やそ]はこれを救ひとやいふらん(三十一日) 余は閻魔の大王の構えて居る卓子の下に立って、 「お願いでござりまする」 というと閻王は耳をつんざくような声で、 「何だ」 と応えた。そこで私は根岸の病人何がしであるが最早御庁よりの御迎えが来るだろうと待っていても一向に来んのは何[ど]うしたものであろうか来るならいつ来るであろうかそれを聞きに来たのであると訳を話して丁寧に頼んだ。すると閻魔はいやそうな顔もせず直に明治三十四年と五年の帖面を調べたが、そんな名は見当らぬという事で、閻魔先生少しやっきになって数珠玉のような汗を流して調べた結果、其名前は既に明治三十年の五月に帳消しになっている事が分った。それから其時の迎に往[いつ]たのは五号の青鬼であるという事も書いてあるので其青鬼を呼んで聞いて見ると、其時迎えに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねって居るのでとうとう家が分らないで引っ返して来たのだ、という答えであった。次に再度の迎え往たという十一号の赤鬼を呼び出して聞いて見ると、成程往たことは往たが鶯横町という立札の処迄来ると町幅が狭くて火の車が通らぬから引っ返したという答である。之を聞いた閻魔様は甚当惑顔に見えたので、傍[かたわら]から地蔵様が、 「それでは事のついでに最[も]う十年ばかり寿命を延べてやりなさい、此[この]地蔵の顔に免じて」 などとしゃべり出された。余はあわてて 「滅相なこと仰しゃりますな。病気なしの十年延命なら誰しもいやはごさいません。此頃のように痛み通されては一日も早くお迎えの来るの待って居る許[ばか]りでごさいます。此上十年も苦しめられてはやるせがございません」 閻王は直に余に同情をよせたらしく 「それならは今夜すぐに迎えをやろ」 といわれたので一寸[ちよつと]驚いた。 「今夜は余り早うございますな」 「それでは明日の晩か」 「そんな意地のわるい事をいわずに、いつとなく突然来てもらいたいものですな」 閻王はせせら笑いして 「宜[よろ]しい、それでは突然とやるよ。併し突然という中[うち]には今夜も含まれて居るという事は承知して居てもらいたい」 「閻魔様。そんなにおどかしちゃあ困りますよ」(此一句菊五調) 閻王からから笑うて、 「こいつ、なかなか我儘ッ子じゃわい」(此一句左団調) 拍子木 幕 (二十一日) 夕餉[ゆうげ]したため了[おわ]りて仰向けに寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。艶[えん]にもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。斯[この]道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を執りて 瓶[かめ]にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書[ふみ]の上にたれたり 藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも 藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ 藤なみの花の紫絵にかかばこき紫にかくべかりけり 瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の床に春暮れんとす 去年[こぞ]の春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも くれなゐの牡丹の花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり この藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日まり後 八入折[やしおおり]の酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く おだやかならぬもありがちながら病いのひまの筆のすさみは日頃稀なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。 (二十八日)