「喜劇的猥褻論(一部抜き書き) - 井上ひさし」中公文庫 パロディ志願 から

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「喜劇的猥褻論(一部抜き書き) - 井上ひさし」中公文庫 パロディ志願 から

『法定犯』と『自然犯』という、対[つい]になったコトバがある。またしても法律用語について書くことになり恐縮だが、なにしろ連中の兵器は法律なので、敵の正体を見破るためにも、このことが必要なのだ。
『法定犯』とはその行為そのものには反道徳性や反社会性はないが、行政上の事由で、ある行為をしようとすることに義務を課し、その義務に違反した場合、それを犯罪とするいわゆる行政犯のことである。
たとえば、だれかが有線放送を始めたとする。そのこと自体はすこしも悪いことではない。人倫の道にそむくことでもない。むしろこれは一種の善行である。喫茶店やバーではレコードを購入したり、そのレコードをいちいちプレーヤーに掛けたりする必要がなくなるから、レコード代や人手を節約できる。有線放送を始めた者は、それによって生計が立つ、四方八方いいこだらけである。だが、この人間がもし無届けで有線放送をやっていたとすると、彼はたちまち犯罪者になるのである。というのは「有線ラジオ放送業務の運用規制に関する法律」なるものがあって、その中に区役所の仮許可と電力会社の仮許可を添えてその地の電波監理局監理部監理課へ届け出るように定めてあるからである。なぜまた区役所と電力会社の仮許可が要るのかといえば、有線放送の場合、どうしても電柱を使うことになるから、電柱の所有主である電力会社の承諾を得る必要があるのだ。しかも、その電柱はたいてい区道に立っている故に、区役所の承諾もなければならぬという仕掛けになっているわけである。
男が女と寝る。こんないいことはない。その相手が自分の女房であろうと、同じ劇団に所属する女優であろうと、同じ会社のOLであろうと、横丁の女乞食であろうと、また通りすがりの正体の知れぬ女に金を与えて寝ようと、当事者たちが「いい、いい、凄くいい、死にそうにいい」と連呼しているのに、傍からあれこれ口ばしを突っこむことはないのだ。
だが売春防止法の第五条には「売春をする目的で、次の各号の一に該当する行為をした者は、六月以下の懲役又は一万円以下の罰金に処する」と定めてある。つまり、売春行為もじつは法定犯であるわけである。
これに対し『自然犯』とは、その行為そのものが、社会的にも道徳的にも悪とされている犯罪のことで、強姦、強盗、放火、殺人などみなこれである。
では、ストリップはいったい『法定犯』か『自然犯』か。たいていの人は、
「お客は見て仕合わせ、踊子たちは生活のためにも見せるのが仕合わせ。小屋主は踊子が見せれば入りがよくなるからやはり仕合わせ。踊子のヒモは、己の女が見せればこれも収入[みいり]が殖えるから仕合わせ。お客のうちの女房もちは踊子のを見てすぐ家へ女房を抱きに走って帰るから女房も仕合わせ。その家庭の子どもは両親が仲よくしているのを見てこれも仕合わせ。お客のうちの独身者は、キャバレーやバーやトルコへかけこむから、こちらも繁昌で仕合わせ。つまり近所合壁[がつぺき]みな仕合わせ。なのにそれが罪になるのは、法があるせい。したがって法定犯だろう」
と考えるに相違ない。だがこれが違うのだ。ストリッパーが性器を開陳するのは『自然犯』なのである。つまり彼等はストリッパーの性器開陳を、殺人罪などと同じように人倫の道にそむくものと決めているのだ。

万金膏[まんきんこう]の原料となるガマの油は四六のガマだけが分泌する。ではガマの四六五六はどこでわかるか。それは前足と後足の指を数えればわかる。同じように連中がなにを『自然犯』とし、なにを『法定犯』としているかは、その法律の条文を睨めばたちどころにわかるのである。
『自然犯』の場合は、
「内乱ノ予備又ハ陰謀ヲ為シタル者ハ」
「多衆聚合シテ暴行又ハ脅迫ヲ為シタル者ハ」
「陸路、水路又ハ橋梁ヲ損壊又ハ壅塞シテ往来ノ妨害ヲ生セシメタル者ハ」
「人ヲ殺シタル者ハ」
「人ノ身体ヲ傷害シタル者ハ」
「未成年者ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ」
「人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取シタル者ハ」
「自己ノ占有スル他人ノ物ヲ横領シタル者ハ」
という具合にいきなり始まるところに特徴がある。有無を言わせずに「この悪人め」という高ッ飛車な調子であるのだ。
これに対し『法定犯』の場合は、こういきなりは始まらぬ。
「売春をする目的で、次の各号の一に該当する行為をした者は」
「行使ノ目的ヲ以テ通用ノ貨幣、又ハ銀行券ヲ偽造又ハ変造シタル者は」
「第四十四条の規定に違反し、文化庁長官の許可を受けないで重要文化財を輸出した者は」
「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方で、尻、もも、その他身体の一部をみだりに露出した者は」
傍点を付して示したようにもったいぶった御託が冒頭にくっついているのはみな『法定犯』なのである。
さて、あの刑法第百七十四条はどうなっているか。
「公然猥褻ノ行為ヲ為シタル者ハ」
ずばりと始まっている。すなわちこれは『自然犯』、したがって彼等はストリッパーの心やさしい性器開陳を、人倫の道にそむく根源的な悪、犯罪の中の犯罪と見なしているらしいのだ。