「散歩するあたり - 藤沢周平」文春文庫 周平独言 から

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「散歩するあたり - 藤沢周平」文春文庫 周平独言 から

よほど天気が悪くない限り、私は一日に一回は駅前まで出て行く。時には少し雨が降っていても傘をさして出かける。
駅前に何があるかというと、別に大したものはない。喫茶店五軒、本屋二軒、パチンコ屋二軒。私が用があるのは、その程度の場所である。だが、喫茶店が五軒もあるというのは、何となく楽しい。実際に私がひんぱんに入るのは、そのうちの「フレンド」という店だが、時にはほかの店にも入ってみる。すると女の子が変っていたり、店が模様替えしていたりする。「この店には、しばらく来なかったからな」と思ったりする。
私が住んでいる西武池袋線沿線の町Hは、村から町へ町から市へ、大急ぎで変貌した痕跡が、あちこちに残っているようなところがある。ちょっとした木立を抜けると、そこでいきなり村にぶつかったりする。
私がこの町に引越してきたのは六年前で、そのときは駅前の喫茶店は二軒しかなかった。その後、確かに人口は増えたようだが、五軒というのは、少し多いのではないかと考えたりする。ガランとした店内で、いつまでたっても私一人新聞を読んでいるようなときである。しかし二軒しかなかったときは、それでは少ない気がしたことを憶えている。
しかも気をそろえたように、二軒とも休んだりした。コーヒー好きの私は、そういうとき淋しい気がした。喫茶店なのに、コーヒー飲みの気持が解っていないな、と思った。町自体に住民に対する思いやりが欠けている感じがした。
五軒も出来ると、そういう淋しい思いをする心配がなくなった。そのあたりが、得をしたような気分で楽しい。駅前がにぎやかな感じになったのも悪くない。駅前は、いつもにぎやかであるべきである。五軒が多いか少ないかは、私が考えることではなく、そういうことは喫茶店の経営者にまかせておけばいいのだ。
そう思いながら、コーヒーを飲み、ぼんやりした気分で新聞を拾い読みする。そのあと、これといった用事はない。本屋をのぞくか、気がむけばパチンコ屋に入るかするぐらいである。そして徒歩約二十分の道を、ゆっくり歩いて家に帰る。
これだけのものだから、駅前に出て行くときの私は、かなりダルな気分になっている。散歩で身体を鍛えるなどという気持は、あまりない。漫然と往復するだけである。
だが、これとは別に、本格的な散歩に出かけることがある。机の前を動けず、駅前にも行けず、身体がなまって頂点に達したと感じたとき、その気になる。本格的だから、ふくそうからして違う。少し薄着になり、カーディガンか、ジャンパーを着る。足にはつっかけのサンダルなどではなく、少し底の減ったラバソールの靴を履く。そういう恰好で、約二時間せっせと歩くわけである。なまった身体に活を入れるという目的意識があるから、立ち止まったりせず、かならのスピードで歩く。
私の家から、北もしくは東に三百メートルも歩くと、そこはもう埼玉県新座市になる。このときの散歩は、駅とは反対側のそちらの方へ足を向ける。つまり私の家は、東京のほんとの端れにあるので、私は散歩をしながら、東京都と埼玉県を出たり入ったりすることになる。
県境を越えたところに、野火止川があり、川に沿って朝霞の方に行く自動車道路がある。私が二十年ほど前にそのあたりを歩いたときには、車などめったに走らず、野火止川は泳いでいる魚が見えた。この川は今はドブ川である。また自動車道路と書いたが、実際は自動車専用ではなく、人が歩いても構わないのだが、切れめない車がスピードをゆるめずに走るので、この道をのんびり歩く人など見かけない。二十年というこの年月の間に、高度成長経済政策というものがはさまっている。ドブ川も、絶えまない車の列もその時代の遺産である。
私はこの二つの遺産を横切って、林の中に入る。林を抜けると広い畑に出る。このへんまでくると、車にわずらわされることなく歩くことができる。
しかし私が歩いているそのあたりは、単純な田園地帯というわけではない。むしろ複雑怪奇な場所である。畑と建売り住宅が同居し、「国有地につき立入り禁止」と、柵に標示がある草ぼうぼう、人跡未踏といった荒地の近くに新築のブロック工場があったり、雑木林の陰から、すばらしい大邸宅が一軒現われたりする。そして道は大方ひっそりしている。
つまりそのあたりは、田園でもあるが、そこまでのびてきた都市の辺境でもある。祖先伝来の土地やしきたりの中に、荒荒しい活力が溢れ、いうなれば無作法に都市が割りこんできている。そういう場所である。
こういう風景の中を通過しながら、私が感じているのは、どことなく落ちつかない気分である。ある種のうしろめたさと言ってもよい。
いったいに農村は、都市がここまで進出してくるのを、歓迎はしなかっただろう、と思う。ほかでもない。土地は長い間彼らの生活のルール、つまり秩序の土台だったからである。土地を売ることは、生活のルールを売り渡し、別のルールに切り換えることである。それが単純なことであるわけがない。
にもかかわらず、農村が妥協し、土地を売り続けるのは、省力、機械化を基本におく農業政策を手はじめに、カラーテレビ、自動車にいたる内側からの都市化の波に、すでになし崩しに、従来の秩序を破壊されてきているからであろう。
時代は農村から本来の秩序、つまり本ものの文化を取りあげて、得体の知れない、日本一律の、のっぺらぼう文化を押しつけた。こういう田園の秩序の後退と都市化は、いま歩いている場所に限ったことではなく、日本中いたるところに、多かれ少かれ見られる現象である。それをやったのが政治と都市である。
その結果どうなったかは、農村の秩序が手をひき、都市の秩序も定着していないそのあたりの、異様な空白感をみればわかる。どことなく落ちつかない気がするのはそのせいで、またうしろめたいのは、むろん私が、都市の側からラバソールの靴を履いてやってきた人間だからであろう。
こういう感想がまとまるころ、二時間の散歩が終るのだが、散歩の効果の方は、いまひとつはっきりしないようである。