2/3「喜びは不安に由来する - 茂木健一郎」筑摩書房 今、ここからすべての場所へ から

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2/3「喜びは不安に由来する - 茂木健一郎筑摩書房 今、ここからすべての場所へ から

人間の場合、「果たして生きていけるか」という問いは、大自然との不断の格闘において生じるのではない。多くの場合、他者との関係性、社会の中における自分の位置づけにおいて、存在を脅かされるのである。
私の家の近くの公園に、ビオトープができた。最初は何となく曖昧な風情をした水たまりだった。しかし、大自然の生命の喚起力というのは凄まじいもので、いつしか水草が生え、メダカの群れが泳ぎ回り、アメンボたちが行き交う美しい場所となった。ジョギングの途中でぼんやりと眺めているだけで魂の中に麗しい音楽が流れ始め、癒されるのである。
アメンボたちは、水面の上でスイスイ、ぴょんぴょんと泳ぎ回り、跳ねまくり、落ち着かない。彼らにとって、「自分のために約束された場所」などないのだ。かろうじて、「ここはボクのテリトリーだ」と主張していたとしても、すぐに他の個体がやってきて、あわててぴょんぴょん逃げていく。お互いに牽制し、小突き合い、動き回る。アメンボは、なかなか生きた心地がしないだろう。
ところが、そのように落ち着かない状況にあるからこそ、アメンボたちは生を楽しんでいるのだとも言える。アメンボやメダカを採ってきて、家の水槽で飼育してみた。アメンボたちは水槽の中でもスイスイ、ぴょんぴょんとやっているが、ビオトープの中のよりダイナミックな相互牽制の波の方が、どう見ても楽しそうである。大変だからこそ、楽しいのだ。
人間が社会の中で巻き込まれる軋轢や混乱も、また、アメンボたちと同じような同種間の社会的相互作用に起因している。それは、一方では愛や友情に結実する福音となるが、一方では私たちの存在を根底から揺るがす事態ともなる。恋のさや当て。男の嫉妬。敵愾心。夏目漱石が、晩年「則天去私」の境地に憧れたのも、わからないことではない。そもそも、この文豪の作品には、人と人との温かい交情を描きながら、その根底に「非人情」の気配があった。
他人に対する温かい気持ちを忘れてしまってはいけないが、その一方で、人とのつながり中におぼれてしまっては、魂の切れ味がにぶる。「非人情」の通奏低音が響いていてこそ、人と触れあう温かさが身に染みる。古来、すぐれた表現者は、自分と他人との関係が予定調和などではなくのっぴきならないものだという事情に通じているものである。
非人情と人情の緊張関係に身を置いてこそ、胸がざわめく。生きるということは、基本的に「どうなるかわからない」という不安定性の縁に自分を置くということである。安定と不安定の間の緊張関係こそが、生命原理の本質である。物質の存在形態として一番安定しているのは結晶だが、それでは生きていることにはならない。
自分が何ものであるかわからないという根源的な疑い。この世界に、確固としたものなど一つもないという悲痛な思い。薄暮の中で私をとらえる不安の底にはやはら、どこか甘美な味わいがある。それなしではそもそも生きていることの甲斐がない。揺り動かされ、脅かされるからこそ生命の実感を抱くことができる。そこには、横溢の気配が立ち現れるのだ。
だから、人は、時には生きていることの不安に立ち戻らなければならない。自分自身が揺るがされるという目眩がするような事態がなければ、私たちは自分自身の存在を確認することなどできないのだ。
小学校に上がった初日、教室で先生の話を聞きながらほおづえをついていたら、「ぼく、たいくつしちゃったかな」と言われた。私は、不意を突かれて、顔が真っ赤になった。教室の後ろに立っている保護者たちが笑った。私の母も一緒になって笑った。あの時、私は、「果たして社会の中でやっていけるのだろうか?」という不安を幼心に確かに抱いたように思う。
そうだ、こんなこともあった。五歳の時に、何を思ったか、近所の女の子に薔薇の花をあげた。どうやってその薔薇を手に入れたのか、よく覚えていない。とにかく、少し年上の、いつも一緒に遊んでいた女の子に、私は薔薇をあげた。「かずよ」という名前の女の子だった。
そうしたら、それが遊び仲間にばれてしまった。皆が「わーっ」とはやし立てた。その頃、美樹克彦の『花はおそかった』という曲が流行っていた。「かおるちゃん、おそくなってごめんね」と歌い出すのである。その曲をもじって、「かずよちゃん、おそくなってごめんね」と皆が歌いながら、私を追いかけてきた。居たたまれなくなって、近所の家の庭の茂みの中に隠れた。あの時、私は、「もうこの仲間うちではやっていけない」という逃げ出したくなるような不安の中に投げ込まれたのではなかったか?
どのようにして立ち直ったのか思い出せない。いつの間にか、私は仲間たちと元通りに仲良く遊んでいた。ひりひりとした痛みは、次第に癒えていった。それでも、小さなエピソードから抱いた存在論的不安は、それ以来ずっと私の胸の中にあったに違いない。
不安があってこその人生だと思う。時に「自分は何ものなのか」という問いを発しなければ、生きていく上でもったいない。時折、人生の最初の頃に、存在論的不安の萌芽があったことを思い出す。そして、二度と戻らない過去の私の生の軌跡とともに育てていこうと決意するのだ。