「舞台再訪-『点と線』 - 松本清張」清張・私のものの見方考え方 から

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「舞台再訪-『点と線』 - 松本清張」清張・私のものの見方考え方 から
 
汚職事件と情死をヒントに

ひところ、汚職事件が起るたびに取調べ中の中央官庁の課長補佐クラスの人が自殺したことがあった。物置で首をくくったり、検察庁の三階の窓からとび降りたり、毒薬をのんだり、温泉郷の旅館で縊死したりした。そのたびに、その汚職の捜査は行詰り、事件は結局つぶれるか、しぼむかした。
なぜこういう現象が起ったかというと、課長補佐クラスは業者と高級役人とを結ぶ実務上の窓口的接点であり、その事件の扇のカナメ的存在であるからだ。カナメをねらえばすべての骨はくずれてゆく、というわけで、捜査当局は基礎捜査には必ず課長補佐や係長を逮捕して証拠をつかみ、上層部へ手を伸ばしていったものだった。官庁が業者への許可、認可権を握って権力をふるってあたころのことである。
そこで課長補佐は「責任」を感じて自殺するわけだが、当時課長補佐は自殺要員だと新聞などで憫笑[びんしよう]されたものだった。しかし、なかにはこうした犠牲に甘んじる律儀な課長補佐ばかりはいまい、上司から因果をふくめられても抵抗したものもいるだろう。だが、抵抗したら......というところから、数少ない課長補佐の「自殺」のなかには怪しげなものもあるのではないか、と、そのころ私は想像していた。事実、全く奇妙な「ある課長補佐の死」もあったのである。
以上のようなことが頭の中に一つあって、今度は別のことが頭の中に入ってきた。
ある日、新聞をみていると、すみのほうに小さな情死の記事がのっていた。山林の中で睡眠薬をのんだ男女が抱合うようにして死体になっていたという。そこで、ふと妙なことを考えた。同じ薬をのんで死んだ男女の死体があれば、容易に情死とみなされるようなことがありはしないか。情死となると自殺と同じだから、むろん、警察は捜査をしない。ことに名所だとか温泉地だとかというのはそうした情死が多いから、土地の警察も自然と馴れて、またかという気になるだろう。そこに犯罪に対する盲点がありはしないか。こんなことがふとうかんだ。
それまでに私は推理小説は愛読していたが、自分でそれを書くつもりはなかった。たしか短編で二つか三つはそれらしいものを発表したことはあるが、それは自分の愉しみで中間的に書いたものだった。というのは、もう、これはほかの場所で何度もいったことだが、それまでの推理小説があまりに動機を軽視して非現実的なプロットが多かったので、もう少し、これを日常生活的な中にとり入れられないものかと考えていたからである。
そこにたまたま雑誌「旅」から、旅に関連した連載小説を書いてくれないかといってきた。戸塚文子さんが編集長の時代だった。その主文が推理小説というのである。
旅と推理小説とは必ずしも離れてはいない。私が読んだ外国の探偵小説でもヨーロッパ中を駆けめぐる話がある。それで、推理小説としての面白さと、旅行的な興味とを両立させてみようと思い立った。もともと私も旅は好きなほうである。
そこで筋として思いついたのが、前に述べた頭の中にある二つのことだった。ある汚職事件に引込まれた課長補佐が自殺を強要されるが、彼はことわる。だが、彼に死んでもらわないと上層部のほうや業者が大そう迷惑する。これで殺人の動機や要素は出来上がった。いわゆる「社会性」もある。今度はその殺人の方法だ。犯人がいかに犯跡をくらますか、それを探偵がどのようにあばいてゆくかの知恵くらべだが、いちばんの完全犯罪は、そもそも警察の捜査が無いということだろう。死体の隠蔽やアリバイづくりなどは推理小説なダイゴ味だが、いずれも犯人が完全犯罪をねらうところから出発している。もし、ここに完全犯罪があるとすれば、捜査のない犯罪、つまり自殺の擬装がその一つである。これもいままでいろいろと使われたところだが、情死となればたやすく自殺らしくみせかけられ得る。さいわい西洋には情死がないから、外国の小説にもこの例はない。
 
すっかり変った風景

というわけで、私はその舞台を前に行ったことのある福岡県の香椎海岸に選んだ。私が博多にしばらくいたのは昭和四、五年のころだった。そのころの香椎は静かな浜辺で、万葉集にうたわれた面影が残っていた。この香椎に行くには国鉄(当時鉄道省)の香椎駅西鉄香椎駅とがあって、西鉄のほうが海岸にわずかに近い。両方の香椎駅の距離はせいぜい五百メートルくらいであった。
「いざこども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜つみてむ」「香椎江にたづなき渡る志賀浦におきつしらなみ立ちしくらしも」(万葉集)という風景は、現在もうつくしい。これで舞台の設定はできた。
課長補佐を情死にみせかけるには相手が必要だが、いくらなんでも無関係の女に同じ毒物をのませて男の死体の横においたところで、不自然になる。生前の両人の関係を第三者にそれらしく思わせなければならない。
そこで、両人が東京駅から九州行の列車にいっしょに乗込むところを、第三者に自然なかたちで目撃させる必要が犯人のほうに起って、その出発時刻に目撃者をホームに立たせることになる。これは違ったホームから人に見せたほうがいいので、東京駅の十三番線から十五番線ホームの遠望となる。当時、その間に他の列車がなくて見通しができたのは、一日のうち、十七時五十七分から十八時一分までの四分間であった。こうして『点と線』を書いていった。
- 今度、この文章を書くに当って三十数年ぶりに香椎の海岸に行ってみた。沖に見える島のかたちは変らないが、海岸線の模様はかなりの変貌だった。大きな団地が建ちならんでいる。それだけ海岸も狭まったようだ。それから海が実にきたなくなっている。海ぎわの岩の上を歩きながら久しぶりに磯の香を吸込んだが、この変り方は昔をなつかしむ者に落胆しか与えなかった。また、国鉄香椎駅西鉄香椎駅の間は、あのころより見違えるようにきれいなり、にぎやかになって、私が作中の人物にいわせた「ずいぶん寂しいとこね」という言葉は、似つかわしくなくなっている。
東京に帰って十三番線ホームに立った。むろん、ダイヤはすっかり変っている。十七時五十七分と十八時一分の間の四分間は消えて無くなり、したがって十三番線ホームから九州行の長距離列車を見通すことはできなくなった。私が立ってみた時刻は十一時三十六分から四十四分までの八分間だった。
あのころと変っているのは、十五番線のむこうに一段と高い新幹線のホームができていることだった。
『点と線』を書いてからすでに八年ほど経っている。風景も変った。私の気持も少しずつ変った。