「団塊くそ食らえ - 石原彰二」08年版ベスト・エッセイ集 から

f:id:nprtheeconomistworld:20200826083551j:plain


団塊くそ食らえ - 石原彰二」08年版ベスト・エッセイ集 から

私は団塊の世代だ。一九四七年つまり昭和二十二年生まれの亥年で、今年のうちに六十歳になる。
この「団塊の世代」という呼び名は、三十年前に堺屋太一さんによって書かれた近未来を予測する小説の題名で、地質学用語からきた巨大な人口の塊を意味するものだそうだ。
ここでは、コンビニ、自動車、銀行に官庁といった先端の業界を舞台に、この世代の余剰と使い捨てにもがき苦しむ姿が、各年代毎に追われていて、よく言い当てられているだけにうら悲しい。
それにしても、団塊などとこんな十把ひとからげの扱い方をされるのも情けない話だが、でも私の中学時代を思い出してみても、そんなに大きくはない市立中学だったにもかかわらず、同学年の者が一組五十四、五人で十六組もあったのだから、確かにその通りとうなずくしかない。
これがそこに書かれているように、途中のバブル経済を作り上げ壊しながら、激烈な受験と就職と生き残りの競争社会を通過してきた後、そのままなだれ込むようにして、二〇〇七年の今に大量の定年退職者を生み出すことになった。
と、今さらのように騒がれているが、実はその渦中にある当事者にしてみれば、別に真新しいことではなく、生まれた時から戦後ベビーブーム世代と言われ続けていて、もうとっくの昔からそれについての自覚症状を持ち続けてきているのだ。
私自身、数年前から自分の年齢を敏感に感じ始めていて、足音近づく定年退職とその先のあれこれについて、思いあぐねるようになっていた。
このまま時間切れを迎えて肩を叩かれ、もうお前は用済みだぞと冷ややかな目で見送られ、静かにかつ何事も無かったかのように忘れ去られてゆく......これはいかにも寂し過ぎるし辛い。
またその一方で、すぐにでも暫く遠ざかっていた競争と奪い合いの仕事探しに走らなければならない。生活に余裕のある者ばかりではないのだ。特に私の場合は、数回の転職を繰り返してきていて、まとまった退職金は手に入らないし先々の年金も当てにならない。もちろん蓄えもないから、働き続けなくてはならない。
そこで考えた。定年を迎える二年前、すなわち五十八歳にして今の勤めを辞めることにした。
こうすれば、ぎりぎりながらかろうじて、あいつはまだ余力があるのにと惜しまれながら身を引くことが出来る。さらには再就職する道もまだ狭まってはいないだろう。次は六十歳過ぎても働くこ
とが出来る職場を見つければいいのだ。
そして思い切った。私は幸いにして、と言うか不幸にしてと言うべきか、今日までの異性獲得競争に敗れ続けて未だに独り身だし、年老いた両親を看取る役目も済んで、今流行りの高齢者一人暮らし。必要な手助けさえ期待はできないが、その代わり、生活のしかたについて迷惑をかけるような者は誰ひとりとして無い。
実際これはうまくいった、と思った。何故今辞めるのだと皆が驚いてくれたし、まだ用無しにはなっていないのに突然居なくなるのか、と思われ言われながら去るこの快感。辞めた後の余韻さえ残った、と感じて少しばかりほくそ笑んだ。
ところがすぐに思惑が外れだした。何ものにも縛られないこんな時間というのは、そうそう味わえるものではない。この時とばかりにつかの間の幸せを貪り、おめむろにゆったりと再就職の道を探ろうと、失業保険を頂きながら職業安定所の求人閲覧パソコン画面を眺める日々が続いた。
だが一向にこれといったものが見つからない。それに今どき何だか訳の分からないものが多い。パタンナー、プランナー、デザイナーにコーディネーター、何とかアシスタントやらスタッフやら。
さらには世相を反映してか、やたらに介護士と携帯電話販売促進員が多い。介護士はヘルパーの資格が必要だし、もうすぐ介護されそうな私が就く仕事でもない。携帯販売の分野は主に女性向けだ。こんなもので有効求人倍率が押し上げられているとすれば、私ら年代の者はたまったものではない。
その上どれもこれも正社員扱いのものは、一律定年六十歳ばかり。残された道は派遣かアルバイトかパート。しかも警備員か交通誘導員か、はたまた何かと生活を維持しようと思えば、二種免許を取ってのタクシー運転手ぐらい。甘かった。
そのうち、ちょっと変わったものが目に入った。僧侶見習い。月給十二万円と安いが週五日勤務。住み込み食事付きだろうか。こうなったらこれでも......と思ってよく見たら、六十歳定年とある。なんで坊主にまで定年があるんだ。
そうこうしているうちに日だけが経ち、私もすぐに五十九歳になってしまった。この五十九歳という年齢はひどく中途半端で、新たな就職では遅すぎるし、かと言って定年後のそれでもないから、雇い入れる方でも躊躇してしまう。
試しに、六十五歳まで再雇用延長ありとある職場に応募してみたら、それは少なくとも五十五歳ぐらいで勤め始めていて、その後の延長です、と断られた。それはそうだろう。私が経営者だってそうすると思う。何のことはない。結局二〇〇七年の今年、団塊の世代の定年退職者の一人という、まぎれもない事態に飲み込まれてしまった。
それでもつい最近、やっとひとつ見つかった。嘱託。しかもこれは行政機関の施策を踏まえて中高年齢者を採用、と謳ってある。嘱託である以上、毎年の契約更新制で賞与もないが、当面六十歳定年はない。早速応募して面接を受けてみようかと思っているが......。
先の小説の冒頭には、こんな文が書かれていた。
かつてハイティーンと呼ばれ、ヤングといわれた、この「団塊の世代」は、過去においてそうであったように、将来においても数々の流行と需要を作り、過当競争と過剰施設とを残しつつ、年老いて行くことであろう。
でも年老いたところでこれで終わりではない。まだ年金と病院と葬祭場と墓地の争奪戦と過剰化が残っている。
こうなったら私は、同年代の者がほぼ死に絶える百歳まで生き延び、その時の社会がどうなっているのか、しっかりと見極めた上で、目いっぱい大声で叫んでから消えてやる。
団塊くそ食らえ!