「荷風の天気図 - 泉麻人」文春文庫 07年版ベスト・エッセイ集 から

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荷風の天気図 - 泉麻人」文春文庫 07年版ベスト・エッセイ集 から
 
去年の秋に「気象予報士」の資格を取得した。自慢するわけではないが、合格率五パーセント足らずの難しい試験を突破したのである。もともと子どもの頃から天気予報が好きで、「お天気ママさん」とか「ヤンボーマーボーの天気予報」とかの番組を日々眺めて、そのうちに自らノートに日本列島の図を描いて、そこに架空の超大型台風などを入れこんで、オリジナルの天気図作り...を楽しむようになった。そんなわけで、十余年前に予報士の制度が始まった頃から、いつかは取ってみたい...と野心を燃やしていた。
気象予報士になって、いまのところまた専門的な仕事はしていないのだけれど、気象の知識がつくと、新たな発見かいろいろとある。たとえば出張の仕事で飛行機に乗ったとき機窓に見える雲の状態から地上の天候を想像したり、散歩の途中に見える清掃工場の煙突の煙から風向や上空の大気構造...などを推理することができる。ま、だからってどーした? と気象に興味のない方は思われるかもしれないが、先日、永井荷風の『断腸亭日乗』を久し振りに読み直してみて、これまで見落としていた描写に目を奪われたのである。
大正から昭和二、三十年代にかけての東京の町並、風俗...が刻明に記録された日記文学の名著、とされる作品だが、日々の天候の描写も実に細かい。
「今日も空晴れやらず。午後より驟雨[しゆうう]滂沛[ほうはい]たり。今年の秋ほど雨多き年は罕[まれ]なり。」
「細雨霏々[ひひ]たり。昨日の炎暑に比して今日は肌寒きこと晩秋の如し。」
「正午の頃より雪降り来る姑[しばら]くして雨となる。」
冒頭に綴られる、そういった天候の描写と日付を照らし合わせると、「この日はオホーツク海高気圧が強まって、戻り梅雨みたいな天気になった夏の日だな...」「これは南岸低気圧が近づいて東京が雪模様になった春先...」と、当日の天気図が想像されてくる。それに加えて「つくつく法師鳴き出しぬ。」とか「曇りし空に無数の蜻蛉落花の飛ぶごとし。」とか、僕の好きな昆虫の記録も所々に見受けられる。ともかく、季節感に敏感だった人なのだろう。
気象描写に着目しながら読んでいて、とりわけ興味深かったのが、昭和十年の九月二十五日に記されたこんな一節。
「南風吹出で暗雲散じて青空現る。溽暑[じょくしょ]俄[にわか]に甚しく蝉また鳴く。昨日は華氏六十五、六度の寒さなりしが今朝は八十度の暑さなり。寒暖の激変驚くべし。俚諺[りげん]にあつさ寒さも彼岸までといふ事ありしが東京の気候年々険悪となり今は古き諺もやくには立たぬやうになりぬ。諺のみならず学問道徳芸術をはじめ古人の言にして今の世に用をなすものは殆ど跡を断つに至れり。時勢と人心との変化是非もなき次第なり。」
これ、いまどきの異常気象に不穏な世相を重ねる話法、と同じではないか。地球温暖化がどうのこうの...以前に、そもそも日本人は天候と世を憂うことが好きなのだ。荷風を再読して痛感した。