(巻二十六)不可解な己に飲ます寒の水(広瀬悌子)

f:id:nprtheeconomistworld:20200903080816j:plain

(巻二十六)不可解な己に飲ます寒の水(広瀬悌子)

9月2日水曜日

散歩:

ハイスクール・コースを歩いた。さくら通りで剪定をしていたが、いろいろとあったので少しズレ込んだのだろうか? 蝉時雨は“収束”に向かい黄落には間がある。

枝のずいぶんと太いところからバッサリバッサリと伐り落としている。

名月を上げて庭師の帰りけり(東洸陽)

(今日は満月で、雲間のお月様を愛でました。)

『 「庭のことば - 近藤正雄」文春文庫 01年版ベスト・エッセイ集 から』

《-裏切り

密告や寝返りなどと同じく日常「裏切り」ということはたいへんよろしくない行為ということになっている。けれども庭づくりにたずさわる私どもには、耳なれたことばであり、庭木の手入れにはもっとも大切なことばでさえある。

樹木の生育のいちばんはげしい夏はまた、私たちのいちばん忙しいときでもあって、この期をのがすと、すかしに適した時は、また一年めぐってこない。いきおい私どもは炎天下にも身をやすめるわけにはいかないのである。すかしをする樹木のなかでも、楠・樫・みずもち・泰山木などは、生長がはやいので太い枝をおもいきって切り落とす枝ぬきをする。葉のいっぱい繁った太い枝は、このころ水を精いっぱい吸いあげているからかなり重い。その枝を切り落とすために枝の表(上側)に鋸をいれる。すると枝は自分の重みによって、鋸がその半分ほども切りさげないうちに裂けてしまう。下手をすると、裂けは幹にまでおよぶことがある。これでは何年も丹精こめた庭木を整姿するどころか、かえっていためて醜くしてしまう。繊維のつよい樹などは、ことにその心配がある。

枝ぬきのさい、このように枝や幹が裂けることをあらかじめふせぐために、私どもはつねに「裏切り」をするのである。裏切りとは、切り落とそうとする個処の裏側にあらかじめ切りこみをいれておくことである。しかし切られる枝にとって事態は反対であろう。その切りこみさえなければ、枝はそうやすやす落ちはしない。まま、半分切られて垂れさがるようなことになっても、樹皮のすじがつながっているかぎり、その枝のいのちに望みはある。それを思えば、「裏切り」はたしかな重みをもっている。

「裏切り」によってなんともあっさり、太い枝が落ちていくさまをみていると、この言葉が人の背叛行為を意味するようになったことがいかにもよくわかるのである。 》

という裏技を使っているかいないのかは訊けませんでした。

本日は三千二百歩で階段二回でした。

顔本:

今日のギルバートさんの訓は

You don't always need a plan. Sometimes you just need to breathe, trust, let go, and see what happens.

でした。

そうできたらいいね!と思い“いいね!”をしておきました。

蟇[ひきがえる]なんとかなるの構へかな(小出功)

願い事-叶えてください。

小心者ですから蟇のようにはまいりません。

無になりて身を預けたし大花野(小川晴子)