1/3「病気ジマンもいいかげんにします - 友川カズキ」ちくま文庫 一人盆踊り から

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1/3「病気ジマンもいいかげんにします - 友川カズキちくま文庫 一人盆踊り から


二十年ほど前から、コンスタントに面倒な病気に見舞われてまして。こうやって酒呑みながら喋ってるぐらいですから、大概克服して来てるんだけど、よくよく考えて見ると、どれもこれも大病といえば大病だったんです。
腰痛の方はまぁ、年齢的に考えてもよくある話なんでしょうけど、ざっと挙げてみると、顔面神経麻痺、腸閉塞。その前には精神の方をちょっと痛めて病院の世話になったこともありますし。今回の本にも載せている地蔵様の一件とか、大したことなかったな、というのも含めると、年一回くらいのペースで変な病気に罹ってますね。

どれもこれもハッキリとした兆候はなくて、いつも突然やってくるんですよ。
顔面神経麻痺をやったのは、六十歳になる手前。発症したのは山口県に滞在していたとき。競輪関係の仕事で防府にロケに出かけてまして、とりあえず無事収録が終わって、地元の店でスタッフと打ち上げをしていたら、突然呂律が回らなくなったの。「あちゃー」と思ってね。うちは脳梗塞の家系でもあるし、これはきっとそうなんだろうと。それですぐに東京に戻って、マネジャーの大関君が羽田空港まで迎えに来てくれたんだけど、その時には完全に顔が曲がっちゃってて、大関君も絶句してました。羽田からそのまま川崎の救急病院に直行して。その時はハッキリしたことはわからなくて、とりあえず脳梗塞ではなさそうだと。それで翌日、別の病院に指示されるがままに行ったら、「この薬飲んで、一週間後にまた来てください」って、それだけなのよ。だけど、顔はひん曲がってるし、口から水は垂れるし、涙は勝手にボロボロ出るし。「ホントに大丈夫なのかなぁ」と思ってね、大関君に「こういう診断だった」って言ったら、彼は「いやいや、そんな簡単な病気じゃないですよ」と。
それで、改めて横浜の鶴見にある顔面神経麻痺専門の病院を探してもらって。これが全く不幸中の幸いだったんだけど、そこできちんとした処置を受けたからこそ、大事に至らないで済んだんですね。
毎日、朝一番で通院して、電気治療とか、自分でもできるいろんなリハビリを一週間ほど続けました。同時に様々な検査をして、結局、悪性か良性かがわかるまで二カ月かかりました。結果は良性だったんですが、ヘルペスウイルスに感染していたんですね。当時やっていたバイトの疲れと人間関係のストレスで抵抗力がガクンと落ちてるところに、運悪く頭皮を介してウイルスがはいっちゃったらしいの。
しかし、その間の不安たらなかった。大関君が気を利かせて、ネットやら図書館やらで病気について調べて、いちいちファックス送ってくれるんだけど、その内容を読んでるとこれまた気が滅入るのよ。私みたいな職業の場合、仮に悪性だったらまず復帰は不可能だろうし、引退も覚悟しましたよ。当時たまたま二男が鶴見に住んでいたもんですから、通院時に彼を呼んで、「お父さん、もうダメかもしれない」と。息子はポカンとして、あんまり響いてない感じで、何か飽き足らないものを感じましたが。
まず、マトモに会話すらできなかったからね。後で歌詞にもしました(「続・ボーする日」)けど、「アイウエオ」が言えないんです。看護師さんに「はい、アイウエオ言ってみて」って言われて、喋ろうとするんだけど、「イ」が出ないんだな。口がちゃんと閉じなくて。歯を磨いていてもツーッと水がこぼれてくるのよ。この脱力感。情けなくてね。
なんだかんだで、平癒するまで半年かかりました。この間、当然ながら禁酒・禁煙・。酒は不思議と呑みたいと思わなかったんですが、タバコ我慢するのはやっぱりキツくて。何度か大関君に通院に付き添ってもらいましたが、病院に入る前に外の喫煙スペースで二、三本吹かしてもらってました。私は風下に立って、副流煙をたらふくご馳走になって。大関君のだけじゃなくて、シレッと赤の他人のケムリもいただいてましたよ。「あ、この香りはロングピースだな」「やっぱりショートホープ副流煙は美味いな」とか、心で呟きながら。
今でも疲れると勝手に右目に涙が溜まって来るんですが、これも顔面神経麻痺の後遺症ですね。その半年の間に一気に白髪も増えちゃって。以前は部分的に黒く染めていたんですが、それも面倒臭くなって、今や真っ白のまんまです。昔、三上寛が突然髪形を変えて来たことがあって、「どうした!?」って訊いたら「頭にきたんだよ!」っていってましたけど、まぁ、この歳になると髪なんかもうどうでもいいです。
闘病中は歌うのはもちろん、人前に立つこと自体ができないわけで。四六時中マスクしてましたから。大体、口の曲がった歌手に歌われても周りが困るでしょう。お客さんも私が「元気でバカ」だから観たいんであって、「元気がないバカ」を観たってゲンナリするだけだろうし。
結局、半年あまりを棒に振ったんですが、生活面のことも含め、大関君の機転のおかげでどうにか復活して今日に至っているんです。大関君は文字通りの命の恩人ですから、少々癪なことを言われても歯向かえません。私としては忸怩たるものがありますが、これは仕方がありません。