3/3「病気ジマンもいいかげんにします - 友川カズキ」ちくま文庫 一人盆踊り から

f:id:nprtheeconomistworld:20200907083213j:plain


3/3「病気ジマンもいいかげんにします - 友川カズキちくま文庫 一人盆踊り から

まぁ、そういうわけで、あっけらかんと生きてますよ。「もう死ぬんだろうな」と思ったことも何回もありますが、基本的に楽観的な人間ですし、そういう性分もカラダにとっては良い方向に作用しているのかもしれない。
ただ、そんなこんなでね、最近ようやく「そうだったのか」と思ったことがあって。つまり、病院に行くと、年寄り方が病状だの病歴だのを語り合ったりしてるじゃないですか。やけに嬉しそうに。病気ジマンってやつですね。で、聞くともなしに聞いてると、実はかなり深刻な病気だったりするんだけど、なぜか笑顔なんだな。若い頃はあれが実に不可解だったし、「みんな死ねばいい」とも思ってたんですけど、ようやく意味わかりました。
要するに、年寄りには先がない。だから笑ってられるんだな。笑うしかない、とも言えるけども。若いうちは無意識にでも「まだまだ人生先は長い」って、どこかでそう思ってるから。大きな病を得るとドーンと落ち込むんですね。だから笑ってられないの。それだけの話だったんです。だけどね、こればっかりは歳とってみないとわからないもんなんですよね。
 
人生長く生きているといろんな目に遭うし、いろんな病にも遭遇する。他方、私の場合、完全に慢性化しちゃっている病気があって。腰痛もそうなんですが、やはり一番の持病と言えば、貧乏ですね。これは全く自慢になりませんけども。
貧乏はね、法定伝染病です。私見によれば。
種田山頭火に「貧乏は良い、貧乏臭いのは良くない」っていう格言じみた言い回しの言葉がありますよね。昔は「その通りだ!」って思ってたんですけど、よくよく考えてみると、というよりも実体験に即して言うと、貧乏だって全然良くない。ああいう言葉は、若干でも余裕のある人だから言えることであって、私なんかが言っても単なる痩せ我慢にしかなりません。「一期の夢よ、ただ狂へ」なんて言葉も、なるほど素敵な言葉ではあるけれども、結局本当に狂ってる人間には言えない。ギリギリまで狂いたい、ギリギリで狂えない、そういう人間だからこそ言える言葉でしょうね。
ただ、ちょっとカラダの調子が悪いくらいの方が少しくうまくいく、ということはあり得るでしょう。私みたいな職業の人間には病すらネタになるし、実際歌にもなってますし。大体、「小金はある、体調も万全だ」っていう状態の時ほど、得てしてスベるのよ。歌ってても妙に違和感あるんですよ。「金持ってて落ち着かない」とか、「体調良すぎて気持ち悪い」みたいな。
 
美学とか死生観とか、そういう立派な話では決してないんですが、「ポックリ逝きたい」ってよく言うでしょ?私、それはなんか嫌なのよ。「周りに迷惑かけたくない」という気持はわかるんですが。
というのも先日、近所で呑んでて、完全に記憶を失くしてしまったんです。とりあえず乗って行った自転車は部屋のドアの前にあったんだけど、最終的にどうやって帰り着いたのか、一切合財覚えてない。
翌朝目覚めたら、何故か梅干しのビンが蓋が開いたまま台所の床に放置されてて。「ハッ!」と我に帰ってね。必死に記憶を手繰って何も出てこないのよ。それで、「ああ、酒では死にたくねぇぞ......」ってさ、考え込んでしまって。
私自身、いわゆる独居老人なんですが、去年の冬だけで全国で一万八千人の老人が孤独死したというニュースを見聞きしていたのもあって。酩酊状態のまま死ぬなんて、私の場合は特にね、文字通りの犬死にですから。
つまり、前後の記憶が飛んだまま逝っちゃうっていうのが、なんとも味気ない感じがするんですよ。自分としては、「俺はもう死ぬんだ」と、ある程度認識した上で事切れたい。死ぬ一週間前にでも、「人間って、こうやって息絶えていくんだなぁ」と、わかりたい。「死ぬぞ、死ぬぞ......」って自分で思いながら、静かにフェイド・アウトしたいのよ。息子たちにも去り際に「負けるなよ~」ぐらいは言っておかないと、一応ね。
とにかく、梅干しのビンを見てね。自分でもよくわからないけど、無性に......。
だから、「ポックリ」だけは、ちょっと御免こうむりたい。せめて死ぬ時くらい、きちんとしていたいのよ。

ま、とんだウダ話でしたけども。この期に及んで、あと十年くらいは生きたいなと思ってるんで、ひとつ宜しくお願いします、ということで。