「日程表 - 藤沢周平」文春文庫 周平独言 から

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「日程表 - 藤沢周平」文春文庫 周平独言 から

このごろ、いやに日が短くなったような気がする。
俳句の冬の季語に短日というのがあり、短日や不足をいへばきりもなき、などという久保田万太郎の俳句があるが、それではなく気持の中のことである。気味がわるいほど、あっというまに一日がおわる。
そう感じるのは、ひとつは年をとって来たからたろうと思う。子供のころ、若いころは、見るもの聞くものが新鮮な経験である。ひとつひとつの経験に、驚きとか余韻とかが残る。しかし年とって来ると、大ていのものは見あき聞きあきて感動もヘチマもない。似たようなことを繰りかえして、日日を送るだけである。たまに新しい経験に出会っても、感動は短く、そしてすぐに忘れる。
こういう老いの兆候というものが、大前提としてあるのに加えて、もうひとつは生活がよくないのだと思う。このところ、ずーっと型にはまった単調な生活がつづいている。
それが自分で作った作業日程表といったもののせいだということは、大体わかっている。わかっているが、日程表を作ったのはわけのあることなので、そう簡単に捨てることもできないのである。
私はもともとが怠け者だったらしく、四年前に会社勤めをやめると、それが一度に表面に出て来た感じだった。
一日をふりかえってみると、朝はともかく七時に起きている。私が七時に起きるというと、はじめての編集者などはびっくりする。しかし、じつはこれが怠惰な一日の幕あけなので、朝起きたときに、私はもう昼寝のことを考えているのである。だから、たとえ朝の四時まで仕事をしても、七時に起きるのはべつに苦痛ではない。しかしそういうことは人には言わないので、聞いた人がびっくりするのである。
七時に起きて食事をすませると、仕事がつまっていなければ外に散歩に出る。バスに乗ったり、時には歩いたりして駅前に出る。そこで本屋をハシゴして回り、喫茶店でぼんやり時間をつぶすのが、私は好きである。そうして大体昼までぶらぶらとする。
仕事の日程がつまっていれば、散歩はやめてすぐに机にむかう。だが低血圧のせいもあってか、午前中はさっぱり気勢が上がらない。大がいは新聞を読み、郵便が来ると手紙を読んだり、一緒に送られて来た雑誌に眼を通したりしているうちに昼になる。 
それなら朝早くから机にむかうこともないようなものだが、やはり漫然と外をぶらついていては申しわけないような気がして、とにかく二階へ上がる。
誰に対して申しわけないと言えば、仕事をくれる出版社、締切りが迫っているのに、小説はまだ三分の一もすすんでいないなどとは、夢にも思わないだろう担当の編集者、また二階にいるからには書きものをしていると信じて疑わない家内、それに仕事の遅れを気にしている自分自身などである。こういうもろもろの申しわけないものの手前、ともわく机の前にじっと坐っている。
昼の食事がすむと眠くなる。夏の昼寝はよくあることだが、冬も昼寝する人はめずらしいと家内が言う。そうかも知れないが、眠いものは仕方がない。寝すごすということはあまりなく、三時前には目ざめて、さっぱりした気分で机にむかう。
しかしたとえばテレビで相撲をやっていれば、それも気になり、時間になると仕事を中断してテレビの前に坐る。また筆がつかえたところで、ひょいと手にした本が面白くて、つい読みふけったりしているうちに晩飯の時間になる。かんじんの仕事は遅遅としてすすまないのである。当然のむくいとして締切りが明日、明後日という日は、夜中の一時、二時、ときには朝まで仕事をやる羽目になる。
こういう状態の繰りかえしは、いかにもだらしないではないかと私は思った。第一身体によくない。それで仕事が重なったときには、行きあたりばったり方式ではなく、日程表にしたがって仕事をやることにしたのである。
こういうやり方は私の好みではなく、また仕事というものが、土台日割りで配分するほどの量でもないのだが、事情が右のようだから、試みにそうしたのである。日程表に、毎日書くべき原稿枚数、つまりノルマを明記したことはいうまでもない。
はじめはうまくいった。予定どおりに運んで、今日はもう書くものがないのかと、はればれと思う日もあった。しかしどのように結構な制度、仕組みにも、長い間には腐敗があらわれる。私の日程表にも腐敗が出て来た。
たとえば五十枚の小説を書くとする。私は初日の予定に五枚と書く。二日目は十五枚と書き入れ、全体として三日半か四日ぐらいで書き上がるような配分にする。
だが第一日目には私は日程表を見ながら、今日はたったの五枚だと思う。たったの五枚ならあわてることはないと思いながら、いつの間にかお昼になる。しかしまだ題名も決まっていないので、さすがに昼寝も出来ず、食後もすぐ机にむかう。だが思わしい題名がうかばないなまま、時がたつ。
このあたりで私は、たった五枚なら明日のノルマにくっつけてもどうということはないな、と思いはじめている。そして、そうだ相撲をやっていたっけ、と下に下りる。結局題名と名前を書いたぐらいで、一日が終る。翌日のノルマは二十枚になっている。初日に五枚、翌日十五枚とした配分には理由があることなのだから、いきなり二十枚が書けるわけはない。けっきょく半分も書けずに終るのだが、私は性こりもなく、ま、いいや、残りは明日の分にくっつけてがんばろうと思う。そう思ったとたんに、明日のノルマはおそるべき量にふくれ上がる。
そのふくらみを、どこで吸収するかというと、日曜、祭日である。せっかく休息日と書入れてあるその日に、私は馬車馬よろしく必死に働く。こういう人種を、郷里ではセヤミ(怠け者)の節句働きと呼ぶのである。
しかし、何ごともその立場になってみないとわからないものである。若かったころ、私はどこそこの親爺の節句働きを、奇異な眼で眺めたものだが、自分そうなってみると、その親爺が、ことさら世を拗[す]ねてそうしていたわけでないことが、よくわかるのである。
親爺は、近ごろの私のように、自分の怠け癖にうんざりしながら、焦りと悔恨にさいなまれつつ、鍬をふるっていたに違いないのだ。
怠惰にも型というものがあるらしく、私の生活は、一見して日程表以前にもどりつつあるようである。違うところはノルマが明確で、これがたえず良心を刺激するために、生活が萎縮し単調になっていることである。日程表など捨てようかと、いま私は思っている。だがそのあと一体どういうことになるかと思いながら、今日も私は茫然と机の前に坐っているのである。