「花子のいる風景 - 平岩弓枝」ベスト・エッセイ2011 から

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「花子のいる風景 - 平岩弓枝」ベスト・エッセイ2011 から

子供の頃から我が家には必ず犬か猫が居た。
素性の正しい生まれの仔[こ]もいたが、大方は出所不明であった。要するに捨て犬、捨て猫である。
今はそんなこともなくなったが、私の子供の頃は神社の前に生まれたばかりの仔犬や仔猫を夜陰に乗じておき去りにする不心得者が絶えなかった。
早朝、拝殿の扉を開けて、ちっこいのが何匹も折り重なるようにして今にも死にそうな声で啼いているのを書生がみつけ、大さわぎになる。私の家族はどちらかといえば動物好きであったらしく、まず、母がミルクを作って一匹づつ飲ませる。なかには自力で飲めないのもいて、人間の赤ん坊用のミルク瓶をつかってというのも珍しくなかった。
或る程度、成長すると仔犬、仔猫時代は愛らしいので、参拝に来る人が一匹づつ貰って行って下さって売れ残ったのが我が家で飼われる。結果、不器量か、体が弱いが、どこかに欠陥のあるようなのが我が家のペットであった。器量が悪かろうが、年中お腹をこわそうが、飼っていれば情が湧いて、病気らしいと見えると直ちに近所の犬猫病院へつれて行くのが私の役目であった。治療を受けて元気になるのも、その甲斐なく一生を終えてしまうのもいて、子供ながら諸行無常を感じていたりもした。
七十何年が過ぎた今、流石に犬は散歩につれて行くのが無理になって、目下、猫一匹が我が家にいる。
名前は花子。但し、これは彼女の本名ではなくて、彼女が我が家へ来た時、シェパード犬の太郎がいたので、ならば花子かと安直に命名したもので、なにしろ、猫は人語を喋らないので、お名前はなんというのかと聞いたところで答えられない故である。
どうやら、花子は置いて行かれてしまった猫のようである。
彼女の生まれ育った家は我が家からそれほど遠くはない所で、私の想像が当っていれば戦前からの立派なお屋敷であった。別におつき合いがあったわけではないので、確かなことは解らないが、御当主が歿[なくな]られて御遺族が転居されて建物はとりこわされ、やがてマンションになった。そちらを花子の生家と推量した理由は住む人のいなくなった家のあたりでうろうろしていた花子を目撃されていた方の話の故である。花子は暫くの間、みるみる変貌して行く家の有様を土手の上からじっとみつめていたという。おそらく花子の飼主の方は伴って行かれるなんにせよ、飼主を失った花子はその当座、近くである私の生家の神社の拝殿の床下にもぐり込んで夏を越したらしい。その花子に餌を与えていた書生の証言によると、いくら呼んでも近づかず、餌をおいておくといつの間にか失くなっていたという。
花子が社務所ではなく、私の家の台所に姿をみせたのは初秋になってからであった。今にして思うと何ケ月かの野良暮しで痩せこけた小さくなった体を縮めるようにしてうづくまっているのをみつけて哀れに思い、食べ残しの魚をプラスチックの皿にのせて与えると、長い時間をかけてきれいに食べた。
たまたま帰って来た主人がそれを見て、野良猫に餌などやると居つくぞと叱った時、なんという間のよさか、ねずみがおそれ気もなく我々の前を走り抜けようとした。当時、我が家はねずみの跳梁に手を焼いていた。花子がねずみにとびついた。あっという間にねずみはひっくり返って死んでいた。主人が変節した。かわいそうだから飼ってやろう。
近くに住んでいる娘がやって来て、捨て猫飼うなら、予防注射もしなけりゃ悪い病気を持っていないかお医者さんにみてもらわないと。直ちに花子はバスケットに入れられて、犬猫病院へ行くことになる。顔なじみの若先生が雌だから避妊手術をと話している所に老先生が現われて花子の口をちょいと開け、体をひっくり返して、仔猫なものか大年増だ、ちゃんと避妊手術をしているよ、とおっしゃった。で、花子はお腹を二度切られることもなく、バスケットに突っ込まれて無事に我が家へ帰って来た。

それから数えて十年、花子は、手のかからない猫である。病気もしないし、食欲旺盛、といって肥りすぎもしない。一日二回は神社の境内を巡回し、主人が社務所へ行く時はいそいそとお供をして行き、帰って来る。自分のテリトリイに他猫が入って来ると強烈な猫パンチをくらわせて退却させる。名前を呼ぶと返事をし、兎とびをして走って来る。
花子に口がきけたら訊いてみたい。ここに書いた私の想像が当っているかどうか。
とにかく、ぼけないで一緒に長生きしようよ、花子ちゃん。