1/2「庭のことば - 近藤正雄」文春文庫 01年版ベスト・エッセイ集 から

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1/2「庭のことば - 近藤正雄」文春文庫 01年版ベスト・エッセイ集 から

-裏切り

密告や寝返りなどと同じく日常「裏切り」ということはたいへんよろしくない行為ということになっている。けれども庭づくりにたずさわる私どもには、耳なれたことばであり、庭木の手入れにはもっとも大切なことばでさえある。
樹木の生育のいちばんはげしい夏はまた、私たちのいちばん忙しいときでもあって、この期をのがすと、すかしに適した時は、また一年めぐってこない。いきおい私どもは炎天下にも身をやすめるわけにはいかないのである。すかしをする樹木のなかでも、楠・樫・みずもち・泰山木などは、生長がはやいので太い枝をおもいきって切り落とす枝ぬきをする。葉のいっぱい繁った太い枝は、このころ水を精いっぱい吸いあげているからかなり重い。その枝を切り落とすために枝の表(上側)に鋸をいれる。すると枝は自分の重みによって、鋸がその半分ほども切りさげないうちに裂けてしまう。下手をすると、裂けは幹にまでおよぶことがある。これでは何年も丹精こめた庭木を整姿するどころか、かえっていためて醜くしてしまう。繊維のつよい樹などは、ことにその心配がある。
枝ぬきのさい、このように枝や幹が裂けることをあらかじめふせぐために、私どもはつねに「裏切り」をするのである。裏切りとは、切り落とそうとする個処の裏側にあらかじめ切りこみをいれておくことである。しかし切られる枝にとって事態は反対であろう。その切りこみさえなければ、枝はそうやすやす落ちはしない。まま、半分切られて垂れさがるようなことになっても、樹皮のすじがつながっているかぎり、その枝のいのちに望みはある。それを思えば、「裏切り」はたしかな重みをもっている。
「裏切り」によってなんともあっさり、太い枝が落ちていくさまをみていると、この言葉が人の背叛行為を意味するようになったことがいかにもよくわかるのである。
 
-捨石

ふつうすてられたものや犠牲にされたものを「捨石」といっている。それは庭づくりにもよくつかわれることばである。だがその意味あいははなはだ異なり、もっと深く、輝きのある内容をもっている。
木蔭にはいれば、どこからともなく風がわたって汗をすっとひいてくれる秋口になると、本格的な庭づくりがはじまる。樹木のほとんどが、真夏や冬の移植には適さないからである。庭の地がしあがると樹木と石は、その大きさと入れるところにより、順に配してゆくが、なかでも石のくばりには気をつかう。
庭につかう石にもいろいろあって、大きく二つにわけられる。ひとつは「役石」であり、ほかは「捨石」である。役石とは、なにかの役目あるいは意味をもたされている石のことである。よく知られているものに蹲踞[つくばい]をかたどる三つの石や飛石がある。また三尊石、陰陽石などをあげることができる。役石のうちでも蹲踞の石や飛石は、茶庭のなかでさかんにつかわれている。しかしほかの役石は、庭が宗教的な色あいをなくしてかたため、社寺のもの以外多くはみらるない。それはあまりに技巧的な石組みがこのまれまれなくなってきていることともあいまっている。庭はあくまで自然の一部であり、樹・石・草・苔などが共生できる空間でなくてはならない。石によって、それがやぶられてしまっては、庭は人をつつみこむやすらぎをかもしださない。
そんなとき、役目なく、ひとつの約束ごとにしばられることもない石が、樹木や下草のかげからもの静かに顔をのぞかせていると、それはいいようもなく光彩をはなってくる。これが、「捨石」である。
さて、庭師仲間もよくつかう京のことばに「ほかす」というのがある。やはりすてるという意味につかわれている。けれども、そのひびきはいかにもやわらかく、すてかたがちがうかのような感じさえうける。いわば「捨石」とはいかにもほかしてあるかのように、何気なくすえられている石ということであって、不要なもの、余計なものを投げ捨てておくことを意味しはしない。
いまや「捨石」は、庭の主役にうかびあがっている。それというのも、かつては信仰にからみ奇石や珍石を自慢にしたものであるが、現代ではむしろ庭全体の造型や装飾として石をとらえみるようになっているからである。つまり配石の焦点は「捨石」にあつまってきている。だから庭づくりにさいし、庭師のだれしもがいちばんに吟味し、苦心してすえるのは「捨石」にほかならない。どこにめ転がっているような石にも、かならず味があるものである。その味をみつけてひきだし、いかに芸をさせることができるかは、庭師の腕にかかっている。
その腕ひとつをたよりに力仕事にあけくれ、一服のあとすえたばかりの石のたたずまいをみていると、庭職人は「捨石」にほかならなかったように思えるのである。眼のあさい人にはとどくすべもないが、庭あるところかならずわれら仕事仲間のさえた技が光をはなっているものなのである。
 
-垣間見る

木枯らしであれ、とっさの風に道ゆくひとの裳裾[もすそ]がさっとひるがえるとき、おもわず今まで気づかなかったその美しさをつよく感じることがある。
それはあたかも腕のいい職人がつくった庭をめぐるときと同じようである。それほどの作庭ができる庭師には、一本の絹糸のような美感覚がぴんと張られているように思われる。その糸をたぐってゆくと、根底となる感覚にめぐりあえるゆうである。その感覚とは、物があるがままあらわにみえてはならないということであり、逆にほとんどみえないようであってもまたいけないということである。いいかえるなら、そこにある物の、背後ないしはその奥に、ちらっとあるかなしかの気配を感じとらせることが大切なこととされるのである。
それは、日本建築における格子や障子、御簾[みす]の意匠にもはっきりあらわれている。たとえば格子戸をあけしめする際、光と影がからからと交叉して流れるように動いてゆくのは、いかにも趣きがある。また朝日がのぼり、障子に樹の小枝がうつって、ましてその中を小鳥のとびかう姿をみつけたりしたときなど、戸外でみたとき以上に印象深いものである。
そのような感覚が、とくに作庭や庭木の手入れの技術の伏本流として存在しているように思われる。なかでも垣は、その典型であろう。古くから透垣[すいがき]という垣がしられており、光悦垣やたいまつ垣のように、すすんで意匠化されたものはいうまでもない。さらに天然の材質をそのままいかした柴垣、竹穂垣はいかに厚くかさねようと、陽はもれてくるし、人や物の気配はすぐ感じさせてくれる。このように垣をはじめとして、さきのような感覚は庭の随所にとりこまれているものなのである。
ともかく、私は長年この道ひと筋に生きてきた庭職人の話をできるだけ聞くことにしている。先達であるというばかりではない。その人たちこそ、もはや接することのできない古人たちの美感覚がふんだんに育まれ生きながらえていると思われるからである。彼等の話を聞いていると、いつかしら遠い日本人の美感覚を「垣間見る」思いがするのである。