2/2「庭のことば - 近藤正雄」文春文庫 01年版ベスト・エッセイ集 から

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2/2「庭のことば - 近藤正雄」文春文庫 01年版ベスト・エッセイ集 から


-根まわし

根まわしということばが政界や財界の常套語になったのはいつごろのことであろうか。あの世界で根まわしのしていない会議がひらかれたなら、それは踊るはかりか蜂の巣をつついたようなさわぎになるにちがいない。
春になると木の肌といわず枝といわず、いそいそとしてくる。暖かい陽ざしの刺激が芽から枝、枝から幹へと伝わり、根の働きが活発になるからであろう。いよいよ根まわしの季節のはじまりである。
庭づくりにさいし多くの人は樹の姿を主にしがちである。しかし、樹の将来を考えるならば樹姿をみて根をみないのはいかにも不手際と言わざるをえない。結果は二、三年をまたなくてもあらわれてしまう。根がしっかりしていない木はみるみる悪くなるからである。いきおい私どもは気を求めるとき、根の具合を第一とすることになる。
ところで庭をつくるということは、木の移植にはじまる。それにはまず当の樹木に前もって移動することの了解を得なければならない。樹木からその了解を得ておくことが根まわしである。それがあってこそ樹木は移植にたえることができる。
さて根まわしであるが、それは樹木の根の活動がはげしくなる五、六月頃が最適とされる。まず庭木として不要な枝をはらい樹姿を整える。つぎにその木立に見合った根株の規模をきめるのである。きまれば幹を中心に円型に掘り下げてゆく。その途中出合う細根はすべて切ってしまう。樹の高さの比にみあった深さまで掘り下げたなら、次に根株の真下を調べるため底の土をさらえていまう。根のあつかいは前と同じことである。
ここまで作業が進むと、根株の姿はちょうど人工衛星のカプセルのような形をして、宙に浮いた格好になる。
切らずに残された太根がアンテナのような態なのである。
また根まわしのしめくくりは、すべての太根の皮を五寸幅ほどにはいでしまうことである。それによって太根の先端から徐々にその働きを弱めさせ、かわりにその手前から沢山の細根を生えさせることができる。
皮はぎがすめば、土はもとどおり埋め戻しておく。その土が石やガラまじりであったり、質の悪いものであれば、その土はすべて入れかえてしまう。
一年後、移植の段になり、再び同じところを掘りかえしたとき、根株に細根と髭根がふえ、その密度が高くなっていれば、根まわしは成功したのである。
つまりこの樹は移植可能な状態にはいっていて、移植されることを了解したといえる。残してあった太根を切りはなし根株の土が崩れないように縄で固く鉢巻きすれば、この作業はすべて完了する。移植された樹は、一夏を無事越すことができれば、まず大丈夫である。
「根まわし」は、けっして一事を成就させるためにめぐらす謀りごとではなく、私どもにとり樹木を新しい環境にとけこませ、かつ育てあげたい一心のきわめわざにほかならないのである。
 
-陸(ろく)

時雨がきつくて仕事にならない日ほど、柄にもなくかたい書物に目を通したりすることがある。
庭づくり指南書のなかでも、すぐれた古典といわれる『作庭記』をひもといてゆくと、随所に強調されているひとつのことに気がつく。それは、庭づくりに際して、その作意を決して感じさせてはならないということである。のちの時代、禅寺に多くつくられた石庭にしたところで、その中につかわれている素材はすべて自然そのままのものである。
長きにわたる作庭の作法をもののみごとに崩したのは、茶人としてむしろよく知られる古田織部であろう。
燈籠にみる織部の造型は、かつての庭には考えられなかった感覚であったにちがいない。いつごろであったか、ある先達に案内されてはじめてこの燈籠と対面したことがある。その時のことは今もって忘れられない。その織部燈籠は太閤石ならではの味わいをもち、私の胸に迫ってきたものである。
すでに古い織部は、ほとんど手にすることはできない。人気はさらのことであろう。うつし専門の石工の話では、今様織部の注文になかなか応じられないということである。
さて、ある書物(田中正大著『日本庭園』)に「織部聞書」というものがあって、それには「ロクナル石」などとさかんに「ロク」ということばがでてくる。
これを知ったことが、織部について第二の驚きであった。なぜなら、この「ロク」ということばは、私どもが石をすえるときによくつかっているからにほかならない。その時の「ロク」とは、前後にも左右にも水平という意味に相当している。弟子入りしたてのころ「その石の天端[てんぱ]をロクにしてんか」といわれて何のことか皆目わからなかったものである。
いらい天端のそろった平坦な石をすえる時には、いつも織部の生きたはげしい時代を身近に感じてうれしくなってしまう。
まして、そのことばが、食糧難のころにいわれた「ごくつぶし」などとならぶ「ろくでなし」と深いかかわりがあると思えば、肩に喰いこむ石の重さも忘れ、愛着さえわいてくる。
 
日和見

昨年は和泉の仕事にほとんどかかりきりであったから、京・大阪間を頻繁に車で通った。その都度、かの洞ヶ峠を登り下りしたものである。
この峠を京にむかって登りつめると急に視界がひらけ、かつての順慶にかぎらず、つい足をとめて一息いれたくなってしまう。
ここからは、ちょうど煎茶点前の山字屏のような山にいだかれた京の街が一望できる。
それをなす山の左が愛宕、右が比叡である。いずれも古くから京都鎮護の山として信仰あついものがある。
私どもにとってこの山は、信仰のみにとどまらない、まして単なる借景としての山であるのでもない。
それは庭仕事には切っても切れない天気と密接な関係を持っているということである。
庭仕事にたずさわる者が、朝起きて、まず心配することは天気のほかにない。いうなれば身体がまだ床の中にある時からもうそのことを気にしているものである。
その天気であるが、長年京に住いする庭師ならば、愛宕と比叡の二つの山の様子をながめ合せたなら、ちちどころにその日の天気をあててしまう。
それは愛宕と比叡に向かって雲がどんどん流れ、つまってゆくゆうな空模様ならば、かならずや雨や雪となる。逆に今さかんに降っていても、この山の上から西南に雲が出てゆくようならは天気は快方に向かう。また雨足からみれば、愛宕にむかう雲による雨は長くきつい。それにくらべ比叡のものは短く軽いということになる。
ところがである、さしたる建造物がなかった以前はともかく、都市の様相ががらりと変ってきた今日、愛宕山比叡山をみようにもビルをはじめとする高層建築にさえぎられて、しだいにみられなくなってしまった。これは仕事柄、実に不便きわまりないことである。いつであれ軒先に出れば、日和見が十分にできたものなのである。
私どもにとって現場に出る前に、その日の空模様を確実にとらえておくことは、肝腎この上ないことである。重量物をあつかったり、高所へ登ったりすることであるから、天気によって一日の仕事の内容がぐんとかわってくる。
庭仕事にたずさわる人が空をみあげながら、軒先から出たりはいったりしているのをみかけたことがないだろうか。「日和見」も、まずは会得すべき庭づくりの技法の一つといわれるゆえんである。
 
-こけの一念

さる人の作庭集をまとめる話があって、若い写真家と庭の撮影にまわったのは、ちょうど暴れ梅雨のさなかであった。
私など素人には、パッと晴れあがった日の撮影がよいと思うのだが、それは全くちがって薄ぐもりが最高のコンディションだときかされた。その上雨あがりであったなら、いうことなしであろう。どんなにうち水しようとも、梅雨のあの間断なく、まんべんにふりかかる自然の撒水にはかなわない。それに雨と水道では、水に含まれた養分というものがかなりことなるだろう。雨あがりの庭苔の精気はことさらである。
苔といえば、杉苔や曼珠苔ばかりを思いおこすけれど、庭石や石造品にえんえんと生きている苔があって、意味は重い。庭石や燈籠をはじめとする石造品は、形ばかりでなく、千辺万化ともいえる色によって、みごたえするものである。その色の変化は、錆苔と総称される苔たちによってかもし出されている。
だから、庭に組まれた茶褐色の丹波の山石が、七、八年から十年のあいだに黒緑色にかわってしまう。それは、錆苔の生活によるのである。はじめてこの石を眼にした人は、このようにはじめから深みのある石であったろうと疑いをもたない。
錆苔は、徐々にではあるが、石の裂け目、窪みの部分から、ふえてゆく。樹木の蔭なら、行程は早くなる。この錆苔が石面をすべて覆い、石のよそおいをかえてしまうと、今度は別種の柄の大きい苔があとを追い始める。竜安寺の石庭の山石にその例をみることができる。
たとえば、十五石のうち人名が彫りこまれた石は、そのような道をへて苔むしたものであろう。長年月にわたって、苔族の洗礼をうけてきたのである。石裏にある二名の刻名のうち、小太郎は衆目の一致するところであるが、他の□二郎の第一字は、どうも定まらない。清・彦・徳など様々な読み方をされているようである。
それは長い間に、風化作用によって字の彫りが浅くなり、読みにくくしていることもあるだろうが、私がまぢかにみた限りでは、錆苔をはじめとした苔の繁茂が、判読しにくくしているように思われる。
数百年にわたるこの石の苔の生涯にくらべれば、刻名ごときをあれこれ詮索していることがばかばかしくなってしまうのは私ばかりではないだろう。
にもかかわらず、龍安寺辺に行くことはよくあるから、そのことをいつとはなしに思いだしているから、妙なものである。
この石にかぎらず、数ある古い石造品にも年代などを刻んだものがよくあり、同じようになかなか判読できないものである。
つまるところ、「こけの一念」ということを思いおこすとき、時流がそうさせるとはいえ、日頃の私たちの気短で、性急な仕事ぶりに冷汗をかかされるおもいがする。ただものいわぬ行の強さであろう。